2019年05月20日

褒める 、叱る。

世の中には、褒めて伸びるタイプと、叱られて伸びるタイプというのがいるそうです。
当たり前のことですけど、叱られるのが好きって人は少ないですから、ほとんどの人は自分を「褒められて伸びるタイプ」と認識しています。

ただ、あきらかな課題がある場合は、「褒める」のみで対処できるものでは無い。
その場合は、それをどう指摘し、認識できるようにするかという“叱り方”が重要となります。

叱られる側からすれば、叱ることと、怒ることにあまり違いを感じないかもしれません。
ただ、大きく違うのは、叱る場合は相手に対する指導の意味を含んでいるのに対し、怒る場合は単純に感情が爆発している、ということです。

指導の意味があるということは、すなわちそこに愛情があるということ。
だからこそ、その気持ちや、指導の主旨が伝わるような「叱り方」を身につけておかねばならない。
そこには「どうしてちゃんとできないんだ」という“苛立ち”が含まれることが多いですから、叱る方には相当な感情のコントロールが求められることになるわけです。

そもそも指導が成り立つには、指導する側、される側という信頼関係がなければ成り立たない。
「私のいうことを聞きなさい」という姿勢では、人は動かないのです。
山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という名言を残しています。
人に「動いてもらう」ことの難しさは、たしかにそのようなものであると思います。

ですから、上司部下という関係であっても、そもそも上司が部下に侮られているようでは、指導の関係は成り立たない。
仕事の関係と割り切って接するならば、業務上の指示は可能ですが、指導を受けたり、ましてや「叱られる」ことを容認できる関係性には到達しない、と考えられるのです。

つまり、それだけ「叱る」というのは難しい。
さらに言えば、叱られるばかりしていると、言いたいことも言えなくなって、萎縮してしまうようになります。
そうなると、仕事自体が成り立たなくなる危険性も出てきます。

一方、褒められる体験というのは、こころの報酬です。
褒められて、のびのび行動するからこそ、良いパフォーマンスが発揮できるようになる、とも言える。

いずれにしても、バランスよく「褒める」と「叱る」を使い分けることが重要なのですが。
そもそも、自分が人を褒めたり、叱ったりできるような人間なのか、という部分には疑問が残ります。
山本五十六のような、稀有な人物が上司になるわけではありませんから。

それでも。
自分に求められる役割がある以上、その責任には誠実でありたい。

そんな気持ちから、この記事を書いてみました。
posted by メタマネ佐藤 at 06:48| Comment(0) | 日記

2019年05月13日

ひらめきの価値。

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今日はニュースから引用させていただきます。
とある福祉作業所の、一人の職員のひらめきから生まれたエピソードです。

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大阪市住吉区で、障害者が手作りした雑貨を扱うセレクトショップ「らふら」(社会福祉法人ライフサポート協会)では、ファーストリテイリングや繊維メーカーのクラボウ、ファスナーを手がけるYKK、デザイナーなどを育成する大阪モード学園、ミシンを扱うブラザー販売の協力を得ながら、3月からミニトートバッグを販売しています。

3月時点での制作者は、同法人が運営する生活訓練「つみき」の利用者で、軽度知的障害のある20代女性1人。もともと手芸が趣味で、「楽しい」と言いながら製作しているといいます。現在は少しずつ作り手を増やしながら商品作りをしています。

このバッグ、何がすごいかというと、材料費をほぼかけずに製作できているという点です。
バッグのデザインは大阪モード学園ファッションデザイン学科の学生が授業で考え、布地はユニクロの店舗で発生するハギレ、クラボウのサンプル反を無償提供してもらっています。また、YKKからはファスナーを、ブラザー販売からは縫製に使うミシン3台の無償提供を受けました。

なぜ大手企業などの協力を得た商品ができたのか、プロジェクトの中心になった法人職員で「らふら」店員の米田麻希さんに聞きました。

米田さんは学生時代、ユニクロでアルバイトをした経験があります。裾上げ後のハギレが廃棄されていることを知り、生かすことはできないかと考えていました。社会人になり、ライフサポート協会の法人職員となってからは、法人の独自商品を開発し、売り上げを伸ばすことで、法人内の作業所で働く利用者の工賃を上げることにつなげられるのではないかと考えるようになったといいます。

2017年5月、米田さんの経験と思いを法人内で共有すると、「ユニクロにメールしてみよう」と、ユニクロを運営するファーストリテイリングに早速連絡することになりました。実はファーストリテイリング、これまでも海外でハギレを使ったプロジェクトを展開してたこともあり、日本でも実施したいと考えていました。
両者の思いが合致し、その年の11月には東京のファーストリテイリング本社でプレゼンし、「プロジェクトへの想いだけでなく、目的や販売拠点を持ち、計画を立てている。是非協力させていただきたい」(ファーストリテイリング)と、とんとん拍子で事は進み、同社が以前からCSR活動に関する意見交換を定期的に行っていたブラザー販売やYKKと、らふらをつなぎ、プロジェクトの輪が広がっていきました。

ここで出てきた課題が「ものはそろったけど、デザインや縫製はどうしよう」。

「ユニクロは全国で展開しているし、福祉作業所も全国にある……。そうだ!全国展開をしている服飾系の専門学校に声をかければ、このプロジェクトがいつか全国的な広がりをみせるかもしれない!」
 
プロジェクトに関わっている人たちの総意が固まり、2018年4月にはモード学園に話を持ち込みました。ファッションデザイン学科の学生およそ40人の前で話をすると、デザイン案がなんと90近くあがってきました。
法人職員の間では、「全部いい!」となったのですが、コスト面などでファーストリテイリングからのアドバイスを受け、一次審査で13案まで絞られました。その後、法人職員や、「らふら」とゆかりのある子育て世代の意見を聞きながら5案にまで絞り、その後二次審査を経て3案を採用することになりました。

現在販売しているミニトートは、3案うちの1つで、残り2案はYKKから提供を受けているファスナーを使う予定だといいます。
今後は商品作りの担い手を増やすべく、法人内にある障害者活動センター「オガリ作業所」(生活介護・就労継続支援B型)の利用者にも関わってもらう予定です。
ファーストリテイリングの担当者は、「ユニクロの店舗から直接地域の施設の方にハギレをお届けする事で地域に貢献できれば、という思いで参加し、障害者工賃アップに今回の活動が良い影響を与えることができるのであれば、嬉しく思います」と話しています。

米田さんは「大阪は商売の町なのに障害者の工賃は低いまま。すぐに効果がでなくても、売り上げが積み上がった結果、工賃アップに繫げたい」と期待しています。

商品は1980円(税込み)で販売されていますが、現在在庫がない状態。在庫が出次第、「らふら」のSNSで告知する予定だといいます。
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購入は社会福祉法人ライフサポート協会「らふら」(大阪市住吉区帝塚山東5ー8−7)まで。

2019年05月12日

ぬりえ楽しい(笑)

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最近、ぬりえのアプリにハマってます。
使う色は決まってるんですが。
ぽちぽちやってたら、ついついやってしまいまして。

気付けばけっこうな時間が経過してしまうという。
ま、暇つぶしに最適ですね。

前から思ってたんですが、僕のブログって字が多くて理屈っぽいですよね。
なんか挿絵みたいなもんが無いかなーって思ってたので、暇つぶしと脳トレを兼ねて、ときどきぬりえの画像を添付してみたいと思います。
テーマに沿ったものじゃ無いかもしれませんけど、まぁ、べつにいいか(笑)

楽しいですよ、皆さんも是非どうぞ〜。
posted by メタマネ佐藤 at 15:03| Comment(0) | 日記

2019年05月10日

うったて。

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ついこの前まで知らなかったのですが。
書道でつかう「うったて」という言葉は岡山弁なのだそうですね。

岡山県人以外の人は、「なんのこと?」という感じだと思うのですが。
岡山県人にとっては、「いや、共通言語でしょ」と思った人も多いのではないでしょうか。

「うったて」というのは、書道の授業で先生から普通に習います。
横棒一本書く時に、グッとひと押し。
そんなところから、肝心要のポイントのことを「うったて」と言ったりもします。

あまりに普通に使っていたので、思いもよりませんでしたが。
他県ではまったくこの「うったて」を使わない、というではありませんか。

知ってるつもりで、知らないことってあるもんだなぁ。
当たり前のつもりで、当たり前でないことってあるもんだなぁ。

そんな新鮮な驚きを感じました。

ちなみに、他県では「おし」とか言うそうですね。
ほかにも、いろんな呼び名があるのかもしれません。
ご存知の方がおられたら、教えて下さいね。
posted by メタマネ佐藤 at 06:40| Comment(0) | 日記

2019年05月05日

瀬戸芸2019 開幕。

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今年は3年に一度の瀬戸内国際芸術祭。
僕は、この会期中くらいにしか島には行かないんだけど。
休みのたびに、行ける時にはできるだけ通って、のんびり芸術を楽しんでます。

写真は地元岡山の犬島ですね。
ゴールデンウィークは人手がえげつないだろうと思っていたので、今回の瀬戸芸はゆっくりめの参加スタートです。

若い頃は、あんまり興味なかったんだけど。
最近は美術館とか、お寺さんや神社巡りなんかもいいもんだ、と楽しく思うようになってきて。

とくにこの瀬戸芸は、地元開催ってこともあり、お休みの日には気軽に島通いを楽しんでいます。
芸術作品もいいけど。
どの島にも、いろんな物語があったりして。
人の営みってすごいなって思うんです。

島の暮らしは、明らかに不便なように思うけど。
いろんな事情があって、今はほとんど人がいなくなってしまった島もあるけれど。
芸術祭が開かれるようになってから、改めて活気付いて、人が増えたってところもあるんですよね。

だから、芸術だけでなく、島を楽しんでるって感じかな。
日常から切り離されて、いい意味で気持ちのリセットにもなります。
そんな感じで、のんびり過ごしてる人も多いように見えますね。

外国からのお客様もたくさんいらっしゃいますが、地元の人でも「あまり芸術には興味ない」って人も多いんじゃないかと思います。
地域おこしの意味もありますから、行ってみたい人は、ぜひメタマネにお声掛けを。
日にちが合えば、ワリカンで小豆島に行きましょう。

レンタカー借りて回りたいもので(笑)
posted by メタマネ佐藤 at 15:53| Comment(0) | 日記

2019年05月03日

平成から令和へ。

令和がはじまりましたね。
一つの時代が終わり、新たな歴史がはじまった。

お札の肖像画も変わるんですね。
だんだん、最近の人が肖像画になるんですね。

平成の時代は、たびたび大きな災害に見舞われ、天皇陛下が被災地訪問される姿が印象的でした。
振り返りの特番を見ていると、「あったあった」となつかしく思うことが多く。
やはり30年というのは、長い年月なんだなぁ、と実感させられたり。

思えば、平成の時代に入ったのは、僕が中学3年の時でした。
受験前だけど、あんまり勉強には身が入ってなかったなぁ。
やりたいことも特になかったし。

それから30年あまり。
いいおじさんになってしまったけど。
僕の中身はあんまり変わって無いような気もします。
あいかわらず、なにもかもいい加減なまま。

でも、やりたいことや、日々の生活に充実感を感じることは増えました。
いっぱい失敗したけど、やり直したいとは思わない。
嫌なこともたくさんあるけど、逃げ出したいとも思わない。

でも、そういうネガティブな気持ちも。
新しい時代を迎えるにあたり。

全てプラスに転換していけますように。
posted by メタマネ佐藤 at 18:27| Comment(0) | 日記

2019年05月02日

憶測と忖度。

憶測とは、「物事の事情や相手の気持ちなどを、確かな根拠もなくいい加減に推し量ること」を言います。
根拠もなく、自分勝手に推測してしまうので、良い意味では使われない言葉です。

それと、なんとなく似た意味に使われる忖度(そんたく)。

最近、忖度という言葉が、悪い使われ方になってますが。
本来、忖度とは「相手が言葉に出せない本音を察すること」を意味します。
つまり「察する」という、和を尊ぶ日本人らしい概念。
森友問題以降、よくない意味でつかわれるようになってしまいましたけどね。

憶測と忖度。

意味は全く違いますが、このふたつの概念が影響しているのだろうと感じる“よくない言葉”が、最近ネット上で踊っています。
それは「上級国民」という呼称。

悲惨な自動車事故を起こした高齢の加害者が、元高級官僚だと判明した後に。
政府関係者の忖度により、都合の悪い顔写真や個人情報を、ネットから削除した。
マスコミも忖度し、容疑者ではなく院長と呼称している。
これが、「上級国民だから逮捕されない」という憶測となり。
ネットニュースになって「上級国民」という言葉を拡散してしまっている。

私は、こういう考え方が「差別」の根っこだと思うのです。
そもそも人間には上級も下級もないのですから。

とはいえ、資本主義社会には、明らかに持つ者と持たざる者が存在する。
社会の中で、馴染める者と馴染めない者を生み出す。
経済や幸福度の格差に、憶測や忖度や承認欲求が加わって、「上級国民」という差別意識を形成する。

もともとインターネットには、事実関係の明らかでない、憶測に基づく情報が散乱しています。
SNSとなると、さらに好き勝手な憶測が飛び交って、無法地帯と化しています。

憶測はさらなる憶測を呼び。
人の気持ちを勝手に忖度し。
事実をどんどん都合よく捻じ曲げていく。
自らの主張の正しさを誇示し、承認欲求を満たす。

僕は思います。

いろんな憶測も忖度も自由だと思うけど。
差別という毒をばらまくのだけは、ご勘弁願いたい。
posted by メタマネ佐藤 at 14:00| Comment(0) | 日記

2019年04月25日

怒りは無謀に始まり、後悔に終わる。

怒りは無謀に始まり 後悔に終わる。
(ブッダの言葉より)

怒りの感情に任せて、たとえば大きな声で怒鳴ったりすると。
たいてい良い結果を産みません。

若い頃なら、血気盛んで好ましい、ということになるのかもしれませんが。
ある程度年齢を重ねてくると、感情的になるのはみっともない感じがします。

ただ、怒りを覚えることというのは。
歳をとったからといって、減るわけではないように思います。

私もそれなりに歳をとって、それなりの立場や役割がありますから、理不尽だと思うことも、それなりに経験するようになりました。
おそらく、怒りを感じる場面というのは、若い頃より増えているように思います。

ただ、それでも、怒りを直接ぶつけるようなことは減りました。
この言葉にもあるように、怒りをぶつけたとしても、良い結果をもたらすことは少ない、という経験を、重ねてきたからなのかもしれません。

それでも時には、口から溶岩のような怒りの感情が噴出してしまうことがあって。
そんな時は、その当事者でなく、まわりの近しい人に愚痴をこぼしてしまったりして。
あとから「申し訳なかったな…」と思ったりします。

ブッダの言葉にもあるように。
多くの場合、怒りの感情は、後先考えずに吹き出して、冷静になってから考えてみると、なにも良い結果を生まなかった、ということがほとんどです。

ただ、その感情の発露は、大きなエネルギー源でもあり。
うまくコントロールできれば、力強い推進力、原動力ともなります。

だからこそ。
感情の勢いを、無謀にぶつけるのではなく。
前向きな推進力に転換していくことが必要で。
感情に流されるのではなく、具体的な行動に転換する。

そうすれば、「あんなことがあったけど、自分の勉強になっていた」と振り返ることもできるはず。

とりあえず、6つ数えて、気持ちを落ち着けるトレーニングから始めてみましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 00:33| Comment(0) | 日記

2019年04月15日

ふりかえり。

きょうは、ブログを長らくお休みしていた訳について、振り返ります。

先日、休載していたのは「なんとなく」と書きました。
それは、たしかにその通りなのですが。
自分としては、それなりに考えもあってのことでした。

そこで今日は、その「なんとなく」を棚卸し。

もともと私がブログを一生懸命綴っていた訳は。
書くことが思考を鍛えるトレーニングになるな、と思ったことと。
私の考えに共感してくれるひとを増やしたい、というふたつの面がありました。

たとえば、一緒に働いている方に、自分の考えを知ってほしい、とか。
僕の腹の中がわかれば、一緒に安心して働けるんじゃないか、ということも考えたりしました。

いずれも、一定の効果はあったと思うのですが。
自分の内面にとっては、良い面ばかりではないように思うようになりました。

どんなことかというと。

文章を書くことで、知らない間に自我が肥大して頑固になってしまうこと。
もう一つは、外面ばかり気にして、良いことばかり書いてしまうことです。

ひとつめの「自我の肥大」。
自分ではなかなか気づかないものですが。
過去の自分を振り返り、今の自分に鑑みると、明らかに増長していたな、と思うのです。

自分など、そもそも何者でもない。
なのに、それなりに役職を経験したり、役割を期待されたりすると、自分で自分を「できる人」のように勘違いしてしまう。

思い上がってはいけない、と常々思ってはいたのですが。
自分の書いたことを、時間が経って振り返って見ると、そこには増長した醜い自分を見つけてしまう。

書くことは、考えをまとめて強化する、つまり思考のトレーニングには最適だと思うのですが。
知らない間に“偉そうな自分”を作り上げてしまう。
少なくとも、私は自分でそれを感じましたので、しばらく自分を見つめ直す時間が必要だ、と考えたのです。

次に、外面ばかりを気にしてしまう、ということ。

人間には承認欲求があります。
自分の考えを読んでもらって、共感してもらえると気持ち良い。
反面、否定されることはとても痛くて、わざわざ時間を費やしてまで人に何かを伝えようとは思わなくなってしまう。
だから、当たり障りのないことばかりを述べてしまう。

つまり、素直な気持ちは表現できないのです。
そうすると何のために時間をかけて文章を推敲しているのか、わからなくなってくる。
なんのために労力を割いているか、意味を感じなくなるのです。

いずれも、決定的ななにか、というわけではないのですが。
自分を見つめ直す時間が欲しいな、と。
そんな風に感じました。

また、仕事に専念する時間が必要だ、と思いました。
ブログは、もともと業務時間外に書いてましたから、そもそもあまり影響は無いのですけど。
それでも、それなりに労力はかかりますし。
自分の時間が削られますので。

そんなわけで、しばらく時間を置いたわけです。
自分を見つめ直す、というか。
自分が何者でも無いことを思い出す、という方が正しいかもしれません。

山本有三の著書に「路傍の石」という本があります。
その意味は「道端に転がる石ころのようなもの」ということです。
まぁ、そのへんの平凡な、つまらんものということですね。

しかし、石はただ転がっているわけではなく。
悠久の時を経て、今に至る。
人の一生など、はるかに超える歴史が詰まっているわけですね。
そう考えると、つまらなく見えるものにも意味が宿る、と気づく。
それでも、ただの石ころには変わりないのです。

僕は、そんな風に生きたい、と思うのです。
そう思うのも、自分自身が俗にまみれた人間だからなのでしょう。

もっと誠実な人間になりたい。
最近は、特にそう思うようになりました。
posted by メタマネ佐藤 at 06:43| Comment(0) | 日記

2019年04月04日

大変ご無沙汰しております。

実にご無沙汰しております、メタマネです。

半年以上ぴったりと更新が途絶えておりました。
そんなことで、なかには死亡説や失踪説が浮上していたようですが(笑)。

どっこい生きてるシャツの中、でございます。
これわかる人は中高年以上でしょうね(笑)

更新が当分なかったことについては、それなりに思うところもございまして。
それは、また改めて書かせてもらおうと思うのですけども。

まぁ、自分自身が異動になって環境が変わったこともあって。
なんとなく、忙しかったり。
正直、ネタがなかったり。

あとは、私の性格として。

やるときにはやる。
やらないときにはやらない。

そんな感じでございまして。

要するに、なんとなく、で随分時間が経過してしまった、と。
そんな感じなんですね。

ところが。

どうも、そうやって「まぁいっか」と思っていたのですが。
自分でも、思っていた以上に読んでくださっていたかたはおられたようで。
そんなマニアックな方々には、随分なご心配をおかけしていたようで。

なんどか「大丈夫ですか?」というお声掛けをいただきました。
心配してコメントを下さった方もいらっしゃいました。

…ありがとうございます。

メタマネは、元気でございます。
私の拙い文章でも、そうやって楽しみにしてくださる方がおられるのは、とてもありがたいことです。

平成が終わり、令和を迎えるにあたり。
細々とですが、時代の片隅で、メタマネブログもこっそり再開。

そんなわけで、今後も少しずつですが、気の向いたときには時々雑感をアップしていこうと思います。

これからも、時々メタマネブログを覗きにきていただけると嬉しいです。
posted by メタマネ佐藤 at 00:04| Comment(0) | 日記