2017年08月08日

「だろう運転」と「かもしれない運転」

昔、自動車教習所に通っていた頃。
どうしても腑に落ちないことがありました。

それは、「だろう運転」「かもしれない運転」という言い方です。

なぜ腑に落ちないかと言うと。

例えば、かもしれない運転。
これは、見通しの良くない十字路などで。
横から自転車が飛び出してくる“かもしれない”というように、いつも危ない“かもしれない”という意識を持って運転しましょう、ということですよね。
この反対が、自転車が飛び出してこない“だろう”という、漫然とした“だろう運転”になるわけですが。

僕はこのふたつ、「日本語としておかしいんじゃないか」と思うわけです。

だって。

自転車が、飛び出して来る“だろう”と予測すれば、慎重な“だろう運転”と言えるし。
反対に、自転車は出てこない“かもしれない”と予測すれば、無責任な“かもしれない運転”ともなりうるわけです。

つまり。

“だろう”と“かもしれない”は、どっちも仮定の話をするときの接尾語であって。

「出て“くる”かもしれない」
「出て“こない”かもしれない」
「出て“くる”だろう」
「出て“こない”だろう」
という、打ち消すニュアンスが、文章に含まれているかどうかの問題なんですよね。

まぁね、確かに屁理屈みたいな話かもしれません。
でもね、なんか腑に落ちないんですよね。

ただ、それだけなんです。
posted by メタマネ佐藤 at 22:27| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: