2018年01月12日

過ちを争うべからず。

過ちを争うべからず。
自今以後の嗜み、肝要のこと。
ーー武田信繁

武田信繁は、武田信玄の弟で、川中島の合戦で討ち死にした名将。
若き日より人格者として知られ、武田家の家訓を99箇条にまとめました。
この一節は、その中の一つ。
短くも凝縮された名言であり、信繁の人柄をうかがい知ることができる言葉だと思います。

この言葉を現代文に訳すならば。
「人の過ちを責め立ててはいけない。
大切なのは、これからの心がけである。」
ということでしょう。

この心境。
なかなか難しい。

誰かの過ちによって、迷惑をかけられたり、嫌な思いがしたときに。
それを責めずにはおれない時が、あるはずだからです。

相手を直接責めることがなかったとしても。
誰かに愚痴を聞いてもらったり、根に持って恨みに思う、ということだってあるかもしれません。

この言葉を聞いて思うのは。
相手に対する向き合い方もそうなのですが、自分自身の心の持ち方が大切なのだ、ということです。

誰かの過ちによって、迷惑をかけられたとか、嫌な思いをしたとかいう体験は、誰にだってある。
僕も、過去何度か「あの人は許せない」と思うような体験がありました。

でも。
じゃあ自分が間違えることや、誰かに迷惑をかけることがないのか、といえば、全くそんなことは無いんです。
むしろ、誰かに迷惑をかけっぱなしで、どうにかこうにか支えてもらっている、というのが現実だと思うんです。

だから大切なのは、そういった「持ちつ持たれつ」で成り立っていることに対する、“自覚”の有無なんじゃないか、と思います。

そして…たぶん、ですけど。

「自分はこんなにやっている」という驕りがあるから、「他人がしてくれない」としか、思えないんじゃないでしょうか。
そういう「自分が正しい」という思い込みこそ、実はもっとも気づきにくく、恥ずべきものだと僕は思います。

僕自身、あとから考えてみて、「あれは恥ずかしいな」と思うこともあります。
“覆水盆に返らず”ということもしばしばで。
僕のおおかたの“過ち”は、この“過ちを争う”、つまり「自分は正しいんだ」と周囲の人に認めてもらいたい、賛同してもらいたい、という承認欲求にあったのではないか、と思うのです。

人に認めてもらいたい。
誰もが持つ願いでもありますが。
これをコントロールすることなど、そもそもできません。

できるのは、自分自身の心がけを変えること。
そうすれば、周りの人も、いつかきっとわかってくれる日が来るはずですから。
posted by メタマネ佐藤 at 19:52| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: