2018年02月03日

思いやりと正義。

議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
しかし、それは空しい勝利だ。
相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから。
ーーベンジャミン・フランクリン

アメリカ建国の父の一人と言われ、政治家でありながら科学者でもあったフランクリン。
いわゆる“避雷針”は、彼の発明によるものですが、その実験方法は雷の日に凧揚げをして、落雷の電気を逃す、という、一見自殺行為かとも思えるような方法で行われたとされます。
その勇気と行動力は、広くアメリカ国民からも支持され、現在の100ドル紙幣の肖像画にもなっている。
そんなフランクリンの残した名言の一つが、先ほどの言葉です。

さて。

イギリスからの独立という、あまりに大きな政治的偉業を成し遂げたフランクリンですが。
交渉のスペシャリストであった彼をして、「相手を言い負かしても空しい」というのが、私はとても重要な姿勢であると思うのです。

一方では、仏教にはこんな言葉もあります。

「正義は人間を最も残酷にさせる」

つまり、自分は正しいという思い込みこそが、他者への配慮を失わせ、容赦なく傷つけるようになる、という意味です。

価値観や物の捉え方は、一人ひとり皆違います。
自分は絶対に正しいと信じて疑わない、言い換えれば共感力の低い人間は、議論で相手を負かして、その事実をもって優越感に浸り、「自分は正しい」と自己陶酔していくものではないかと思います。
でもその背景にあるのは、自分に自信がない、人に認めてもらわないと価値がない、という承認欲求の欠如からくる、ネガティブなモチベーションだと考えられるのです。

つまり、自らの正義を信ずる人は、思いやりに欠けている。
もしくはそんな余裕がない。
だから、人を傷つけても、気付かない。

「自分こそ正義なり!」
最近、こんな人が増えてませんかね?
…これって、かなり恥ずかしいです。
自分もそういうとこあるから、書くの苦しいですけどね。

結局のところ、こういう人の行動原理は、「人から褒められる」とか「認められる」というような、マズローの理論で説明される承認欲求が大きいのだと思います。
ICFで言えば「参加」かな。

自分の居場所を求めて、自らの行いを正しいと信じて、誰かに認めて欲しくて、「すごいだろー!」と人を言い負かし、暴れまわっているとしたら、こんなに空しいことはありません。
言い換えれば、寂しいって素直に言えないだけ、それで人を傷つけてる、という話ですからね。
もっと恋愛したらよかったのにな、と思うなぁ。

役所の窓口で、長時間、理路整然とクレームをつける人たちというのは、たいていこのパターンだろうと、僕は勝手に位置付けています。
いわゆる「中二病」もそうだな。

「ヒマならもっと、建設的なお話をすればいいのにね」と思う。
でもね、時間に余裕はあっても、気持ちにそんな余裕がないんです、たぶん。

ここから脱却するには、「思いやり」の心を持つことだと思うのです。

自己中心的な、自らの正論に拘らずに。
相手の話に、きちんと耳を傾けよう。
相手も気持ちを考えよう。

でも、そんな簡単なことが、どうしてできないのか?

何度も言います。
「自分は正しい」と、勝手に思い込んでいるからです。

そう思わないとやっていけないから。
誰かに認めて欲しいから。

そんなつまらない「負けない」精神から脱却し。
「思いやり」の意味を考え、深めることに力を注ぐようにしましょう。

我々の業務では、地域包括ケアシステムとか言ってますが、基本はそこ。
思いやりの精神と、緩やかながら信頼で結ばれた助け合いの仕組みを地域に面展開すること。
「我こそは正義!」と思う人が、一番いけない。
なにをするにしても、その立ち位置を間違えないようにしなくてはならないと、僕は思うんですよね。


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posted by メタマネ佐藤 at 18:32| Comment(0) | 日記
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