2019年04月15日

ふりかえり。

きょうは、ブログを長らくお休みしていた訳について、振り返ります。

先日、休載していたのは「なんとなく」と書きました。
それは、たしかにその通りなのですが。
自分としては、それなりに考えもあってのことでした。

そこで今日は、その「なんとなく」を棚卸し。

もともと私がブログを一生懸命綴っていた訳は。
書くことが思考を鍛えるトレーニングになるな、と思ったことと。
私の考えに共感してくれるひとを増やしたい、というふたつの面がありました。

たとえば、一緒に働いている方に、自分の考えを知ってほしい、とか。
僕の腹の中がわかれば、一緒に安心して働けるんじゃないか、ということも考えたりしました。

いずれも、一定の効果はあったと思うのですが。
自分の内面にとっては、良い面ばかりではないように思うようになりました。

どんなことかというと。

文章を書くことで、知らない間に自我が肥大して頑固になってしまうこと。
もう一つは、外面ばかり気にして、良いことばかり書いてしまうことです。

ひとつめの「自我の肥大」。
自分ではなかなか気づかないものですが。
過去の自分を振り返り、今の自分に鑑みると、明らかに増長していたな、と思うのです。

自分など、そもそも何者でもない。
なのに、それなりに役職を経験したり、役割を期待されたりすると、自分で自分を「できる人」のように勘違いしてしまう。

思い上がってはいけない、と常々思ってはいたのですが。
自分の書いたことを、時間が経って振り返って見ると、そこには増長した醜い自分を見つけてしまう。

書くことは、考えをまとめて強化する、つまり思考のトレーニングには最適だと思うのですが。
知らない間に“偉そうな自分”を作り上げてしまう。
少なくとも、私は自分でそれを感じましたので、しばらく自分を見つめ直す時間が必要だ、と考えたのです。

次に、外面ばかりを気にしてしまう、ということ。

人間には承認欲求があります。
自分の考えを読んでもらって、共感してもらえると気持ち良い。
反面、否定されることはとても痛くて、わざわざ時間を費やしてまで人に何かを伝えようとは思わなくなってしまう。
だから、当たり障りのないことばかりを述べてしまう。

つまり、素直な気持ちは表現できないのです。
そうすると何のために時間をかけて文章を推敲しているのか、わからなくなってくる。
なんのために労力を割いているか、意味を感じなくなるのです。

いずれも、決定的ななにか、というわけではないのですが。
自分を見つめ直す時間が欲しいな、と。
そんな風に感じました。

また、仕事に専念する時間が必要だ、と思いました。
ブログは、もともと業務時間外に書いてましたから、そもそもあまり影響は無いのですけど。
それでも、それなりに労力はかかりますし。
自分の時間が削られますので。

そんなわけで、しばらく時間を置いたわけです。
自分を見つめ直す、というか。
自分が何者でも無いことを思い出す、という方が正しいかもしれません。

山本有三の著書に「路傍の石」という本があります。
その意味は「道端に転がる石ころのようなもの」ということです。
まぁ、そのへんの平凡な、つまらんものということですね。

しかし、石はただ転がっているわけではなく。
悠久の時を経て、今に至る。
人の一生など、はるかに超える歴史が詰まっているわけですね。
そう考えると、つまらなく見えるものにも意味が宿る、と気づく。
それでも、ただの石ころには変わりないのです。

僕は、そんな風に生きたい、と思うのです。
そう思うのも、自分自身が俗にまみれた人間だからなのでしょう。

もっと誠実な人間になりたい。
最近は、特にそう思うようになりました。
posted by メタマネ佐藤 at 06:43| Comment(0) | 日記
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