2011年05月05日

メタマネむかしがたり 百科辞典。

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今日は子供の日。

メタマネにも男の子が一人いるんです。
この木の様に、「立派に大きくなってくれよ」と想いを込めて、写真をアップしました。

今はあんまり会えないんだけどね………ρ(..、)

さあ、ブッチギリ暗い出だしはさておき。

繰り返しますが、今日は子供の日だから、メタマネの子供時代を振り返るぞ、と。

メタマネはむかし、どんな子供だったか。

一言で言って、よわっちかった。

病気がちでおどおどした子だった。

近所の子に泣かされて、いつも体育ではビリで。
カッコ悪い代表、それが僕。

しかし僕には、誰にも負けない所が一つあった。

それは、誰よりも“物知り”だったってコト。
小学校では、「百科辞典」というあだ名だったの、マジで。

なんでそうなったのかを振り返ってみよう。

ウチの両親は、前にも書いたが耳が聞こえない。
いわゆる“ろうあ者”なのね。

聾教育でよく言われるのは、“9才の壁”というもの。

耳から言語情報を得られない聴覚障害者は、どうしたって得られる情報が限られる。

手話には助詞の“て、に、を、は”が無い。
だから、「僕を、学校が行きました」みたいに間違う。
耳から言葉が入らないってのは、そういう事なんだな。

そうなると、言語の習得レベルが、およそ9才程度で、それを超える事が難しい。
つまりこれが“9才の壁”という訳だ。
一般にはあんまり知られてないけどね。

つまり。
ウチの父ちゃん、母ちゃんは、僕に、日本語を教える事は難しい訳だ。

…だけど。

うちの両親は、自分が話せない代わりに、沢山の本を僕に与えてくれた。
図鑑や、学研のひみつシリーズや、偉人伝。
僕にとって、そんな本を読む事こそ、家族の会話だったんだと思う。

学校の勉強は嫌いでも、本を読む事は好きだった。
運動では負けても、物知りでは負けない。
だから僕は、「百科辞典」になったんだろう。

耳が不自由な、言葉の話せない親だからこそ、僕はそうした所で負けたくなかった。
それこそ、幼い僕のプライドだったんだと思う。

そしてそれは、多分今でも変わってないんだよね。
だから俺、スゲェおしゃべりになったんだろうな、なんて思いますよ(笑)。
posted by メタマネ佐藤 at 20:00| Comment(2) | むかしがたり
この記事へのコメント
おばあ様もそうでしたが、ご両親も立派な方なんですね(*'▽'*)
やはり、人間は誰にも負けないプライドというか「誇り」があると違いますね(*^^)v
Posted by メタボセラピスト at 2011年05月05日 21:21
立派かどうかは分かんないけど、今の自分があるのは両親のおかげだと感謝しています。

あとで読み返すと、何だか良い様に書き過ぎたけど、実際は知ったかぶりのひねくれたガキだったと思います。<(`^´)>
負けず嫌いも相当だったしね。
Posted by メタ at 2011年05月06日 06:46
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