2012年03月19日

短期連載「仏教」〜縁起〜

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さて、短期連載仏教も5回目。
本日取り上げるのは、「縁起」です。

私たちは普段から「縁起がいい」とか「悪い」とか言いますね。
まぁ、ジンクスというか、不確定だけども何となく関連性があるような気がする、というようなときに使います。

だけどこの使い方は、本来の意味とは違う。

もともと縁起とは、「因縁生起」が略された言葉とされます。

因とは、直接的な原因のこと。
縁とは、間接的な要因のこと。
その二つの関連性によって、世のすべては起こる(生起)。

すなわち縁起とは、万物の関連性を意味する言葉なのです。

それをあらわす仏陀の言葉。
「これあるによってかれあり、
これ生じるによってかれ生じる。
これないときかれなく、
これ滅するによりかれ滅する。」

全てのものは相互に関連する。
あらゆる存在や事象は、様々な要素が重なりあいながら生じている一時的な状態にすぎない。

こうした視点にたって、先日述べた「苦」が、どのような因縁によって生起するのか探る、というのが縁起の考え方。
こうした流れを“因果律”と呼び、如来がこの世に現れようと無かろうと、定まっている法(ダルマ)である、とされます。

その法を理解して、わかりやすく教えてくれたのが仏陀。
こうした点で、絶対的な唯一神を奉じる宗教と仏教は、大きな違いがあるのです。

つまり、縁起の着想は、仏教の本質とも言える部分。
縁起の視点から、苦が発生する仕組みを理解する、というところが重要なのです。

では、その苦の生じるプロセスについて、もう少し具体的に説明しましょう。

十二縁起と三縁起がありますが、ここではシンプルに三縁起を元に解説。

三縁起とは、取、著、愛をいう。
取(無明)…苦が生じるそもそもの原因のこと。物事の原因がわかっていない、根本的な無知を言う。
著(執着)…無知によって執着が生まれる。様々な欲望に執着すると、それを手放したくないという愛(苦悩)が生じる。
愛(苦悩)…仏教で愛とは、苦を意味する。愛が起こった場合は、なぜ苦しいのかチェックすることでその原因と解決方法がわかり、苦を滅することができる。

無明が執着をうみ、苦悩を生じる。
これが縁起の基本の流れ。
次に、これを逆からたどる。

「なぜこの苦しみは起こったのか」
「こうでなくてはならないという、執着が強かったからではないか」
「ではなぜそこに執着していたのだろうか」
「物事の本質に対する理解ができていなかったからだ」
「そのために、進むべき方向を間違っていたのだ」

といった具合です。

つまり、無知によって苦はもたらされる。
それを理解することで、苦を滅する。
あらゆるものの関連性を意識する。
それこそが、縁起。

絶対普遍な存在はない。
全てのものは相互に影響し、絶えず変化し、連鎖し、万物流転の様相を呈する。
その大きな流れのなかにある“苦”を、どのように理解するか。

縁起とは、その関連付けの方法論と解すると解りやすいでしょう。

生まれ、老い、病み、死んでいく苦悩。
家族や愛する人とわかりあえない苦悩。
求めるものが手に入らない苦悩。
憎い相手と会わねばならない苦悩。
そうしたものに翻弄され、心と体が休まらない苦悩。

その苦を解体する答えを、縁起の方法論で見つめてみる。
苦そのものを滅することはできないが、縁起の発想で受容することはできる。
それこそが、悟りに至る道程。

簡単なことのようですが、実践するのはなかなか難しいですね。

次回は三法印について、触れてみましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 20:24| Comment(2) | 仏教
この記事へのコメント
「縁起」とはそういった意味だったんですか(;゚Д゚)!
様々な原因が折り重なって結果が生じる、その方法論なんですね(#^.^#)

事象を受容する1つの方法ですね。勉強になりました、ありがとうございます(=^0^=)
Posted by メタボセラピスト at 2012年03月19日 20:31
>メタボセラピストさん
三縁起の着想は、機能訓練に執着する基底還元論に通じると思いませんか?
苦の原因を縁起の発想で論ずることは、まさに四苦の病、障害受容の過程にも応用できる発想なのです。
仏教は深い。
Posted by メタ at 2012年03月19日 21:05
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