2012年06月09日

メタマネむかしがたり 受験勉強って何だったの?

今日は「受験勉強」をテーマに、徒然に書いてみます。

これまでにも何度か触れてきましたが、私は学生時代あまり勉強していませんでした。
自分の好きなことには熱中できましたけど、受験勉強については、何のために勉強するのかが、よくわからなかったからです。

これについて今は正直に、「勉強をやりたくないが為の、単なる言い訳だったな」と振り返っています。

だって、思春期の僕は大学出の肩書きが欲しかったですからね。
肩書きが欲しかった理由としては、人並みにお金が欲しかったからです。
社会の有り様なんて、未成年で未熟な僕にはわかりませんでした。
なので、とりあえず不安ですから、食いっぱぐれの無いように、大学くらいには行きたいな、という“ライセンス欲しさ”だった訳です。
我ながら、くだらない動機。(笑)

そんな程度のモチベーションでしたから、受験勉強が面倒臭くて出来なかったってことなんだね、結局。
それで、弱い自分をごまかすために「社会に出てから役に立たないような勉強をするのは、時間の無駄」と言い訳してたんですね。
ヒネくれたガキですけど、ある意味正解だ、とも思う。

多分ですけど、言い訳せずに本気で受験勉強をやっていれば、もっと学歴を積むことはできただろう。
そしたら、今と違う道もあったのだろうな、とは思っています。

だけど、それじゃあ今の仕事にはたどり着かなかったよね。
今は毎日が本当に楽しいので「あの時、もっと勉強しておけば良かったなぁ」という後悔は全くありません。
それもまた、僕にとっての真実。

と、すれば。

今の僕には、昔以上に「受験勉強は意味が無い」と言える様になったってこと。
だから「何でそんなことせんといかんのか」って若い子に言われると、答えが出ない。
「したくなかったら、せんでええんじゃない?」ってしか言えないな。

ま、就きたい仕事があって、その為には偏差値が必要な場合は別。
「言い訳せず勉強しろよ!やりたいことあんだろ!」って言える。
だけど先が見えない、保障が無い中で、何年も受験勉強をやらされるってのは、本当にしんどいよね。
そりゃあ普通に“病む”。

先生、受験勉強って何なんですかね?

思春期の僕たちを相手に、大人はこんな風に言っていた。
「大人になって子供ができたときに、こんなこともわからないのかってバカにされてしまうよ」
「勉強しないと、良い学校にいけないよ」
今思うと、これは答えとして0点。

「四の五の言わずにやれ!」と叱る人もいた。
これは少しマシだから30点。

だって。

子供にバカにされるのが、そんなにいけないの?
自分の子供に教えるというシチュエーションって、人生のなかでそんなに重要?
大体結婚できるかどうかもわからん。
そもそも、良い学校に行ってどうするかの方が問題。
「目標」を明確に持てるように、色々教えてほしいけど……先生に聴くってのはダサイし。
しまいには「言い訳するな、やることやってから言え」ってか。
ヘイヘイ(サボっちゃお)。

そんな感じの中高時代でした。

やりたいことがはっきりしてないと、大人になっても結局は迷う。
一生懸命勉強していたとしても、それは同じだ。
良い学校に行ったからって、立派な社会人になれる訳じゃない。
むしろ、若い頃に色んな経験、体験を積んでいる人の方が、あとあと成功するケースが多いのは、結果が示している。

それは、アイデンティティ形成の問題。
自我同一性 対 拡散。

モラトリアム人間は、増殖し続けている。
その責任は、誰が担うべきなのか。

…話が大きくなりすぎましたね。

五味太郎さんの、「大人問題」より。

大人は子供に対して、すぐ試験をします。
まさに試すのです。
実力をつける、客観的評価をするなどという理由のもとに、子供をいたぶっているとしか、僕には思えません。
なぜ、そんな形でしか実力つけられないんだろうか、最後はテストなんだろうか、点数なんだろうかと思います。
それが大学入試まで続いて、社会に入っても営業成績という点数化によって評価されていく、この社会の雑さ、未成熟さ。
救いがないなあという感じがします。


まさにそういうことなんじゃないかな。

テストで良い点とることなんか、生きる目標にはなり得ない。
そんな未成熟な状態で、社会に出たところで、通用するわけがない。
結局、生きてく力が弱いんという事になるんじゃあないのかね。
そういう人にとっては、学歴なんぞはむしろ邪魔。

だったら。

やりたいことをやった方が百倍マシ。

それを見つけていけるような教育を。
「13才のハローワークを、もっと真剣にやってよ先生。」
と思うメタマネなのでした。(難しいだろうけどねぇ…)
posted by メタマネ佐藤 at 20:57| Comment(2) | むかしがたり
この記事へのコメント
ま…大卒だといろいろと下駄を履かせて貰える分野が多いのは確かです。突き詰めて考えると根拠が定かでない場合もあるのではとおもいますが。昔の司法試験は学歴の制限は無く、何か「人生大逆転」みたいなイメージありましたが(テレビドラマのネタでしたね)。ケアマネも大学に養成課程を設けるとか何とか提言されてるようですけど、根拠の程は如何?「実業教育に特化した大学」もありかも知れないけど、もっと世俗の流れと違う、普遍的な理想を大学教育では目指して欲しい気がするのですが←他人のブログで長々スミマセン冷や汗
Posted by すか at 2012年06月09日 23:24
コメントありがとうございます。私も同感です。
大学という機関の役割は、職業訓練というよりは学術研究が本分であろうと思います。
とは言え、そうしたことを実践する“場”としての機能をどの程度果たせているでしょうか。
そもそも根元的な「学ぶ」ことの意義が、受験教育という名の“強制訓練メニュー”によって、失われるのではないかとさえ思うのです。
早い話が、勉強嫌いで遊び好きな、すっかりシラケた大学生を作ってしまっているように思う。
あと、専門過程を設けて、ケアマネの学術的な理解を深めたとしても、実践するのは今の資格制度なら最低5年先なわけで。
その頃には制度も変わるし、大学で習ったことなんて、忘れてんじゃないの?という気も致しますね(笑)。
Posted by メタ at 2012年06月10日 21:27
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