2012年06月25日

連載「バイステック」〜受容その1〜

月曜日は連載記事の日、と勝手に決めてお届けしております。
先日から、取り上げている「バイステックの7原則」も4つ目。
「受容」について触れていくのですが…。

実は受容について書くの、結構難しいんですよね。
たぶん、7原則の中でも一番書きにくい項目じゃないか、と思います。
これについては、まず「受容」をどのように概念化するのか、というところに着目する必要があるだろうと思います。

「受容の原則」は、もともとの英文では“”。
これを「受け容れる」とした和訳が、果たして本当にこれで正しかったのか、という議論があります。
「受け容れる」という言葉には、あらゆるものごとを“そのまま受け容れる”というような、受動的態度とも捉えられるからです。

確かに、クライエントの立場から見れば、「自分のことを、言うことだけでなく、存在までまるごと受け容れて欲しい」というようなデマンズはありえます。
しかし、援助者としての立場から見ると、“ありのままに、そのまま受け容れる”という態度はデマンズ迎合であり、適切とは言いがたいのではないか。
そのように考えると、私たちのとるべき態度とは、クライエントを「あるがままに受け止める」ということではなかろうか、ということができるでしょう。
ある意味ワーカーは、クライエントが「〜という気持ちであること」を理解(解釈)したという、一線を引いた態度となります。

バイステックも、この“受容”を原則に取り上げる際に、理論の前に実践が来ている、という点に触れています。
直感的に、情緒的に実践されている“受容”について、これを原則として定義していくに際しては、「すでにこれは原則と見るべきである」という言い方で、やや消極的。

つまり“受容”は、“援助”という過程を通じて、それぞれのワーカーの“やり方”で、すでに実践されているものであり、技術というよりは経験的に培われていくものであるだけに、原則として定義付けることは難しい、と言っているのだと私は解釈しています。

しかし、援助関係にあって中心的な要素とも言えるラポール形成の、さらに核にあたるのがこの“受容”。
それがワーカーの経験則に立っているとしたら、それは専門職でもなんでもない訳で、ただの「話しやすい人」で良いことになってしまう。

要はこういうことだと思います。

受容が、経験則に立って行われている限り、私たちは専門職たりえない。
しかし、それは概念化して定義することが難しい。
敢えて言えば「クライエント想いや存在を尊重して、受け止める過程」ということでしょう。
ただし、これはメタマネ解釈です。

今回は、受容を概念化するところまでにしておきます。
「それは違うよ」というところや、「それはこういう意味じゃないの?」という意見があれば、是非ご指摘ください。

次回はこの受容について、もうすこし掘り下げて考えたいと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 21:45| Comment(2) | バイステック
この記事へのコメント
『バイスティック〜』と直接は関係ないのですが、社士の勉強をしていた時、「倫理綱領を読んで、最も重要と思う『価値と倫理』について書け」という課題があり、「受容」を最も重要として書こうとして挫折した事があります(結局、旧倫理綱領の「ワーカーの職責」の文言を引用してレポートを書いたが、新倫理綱領に於いてその文言のほとんどが消えた冷や汗)。なぜ難しかったんだろう?自分でも考えてみたくなりました。
Posted by すか at 2012年06月26日 16:50
いつもコメントありがとうございます。
受容については、私自身この概念で良いのかどうか、正直に言って自信がありません。
言葉の意味をそのまま捉えると、ありとあらゆるものごとをそのまま“受け容れる”ともとれますが、それは違和感がある。
むしろ、あるがままの状態を把握する、受け止めて解釈する、という意味で考える方が科学的な気がします。
受容について考えると、どうしても漠然と広くなってしまうので、捉えどころがなくて難しいのではないだろうか、と感じます。
ただ、援助の本質にか変わるものですし、言われるように倫理的にも重要な部分だと思いますから、やはり志向していくことが必要なのだろうと思います。
なかなか実践はできないですけどね……(- -;)
Posted by メタ at 2012年06月27日 07:04
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