2012年07月23日

連載「バイステック」〜自己決定の原則その1〜

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コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)
とは、近代哲学の父デカルト。
7原則の6番目、自己決定とはまさにこのような原則であろうと私は捉えています。

「自分の人生や生き方は、自分で考えて決めたい。」
言ってしまえば自己決定とは、そのような概念に集約することができるでしょう。

しかしながらクライエントの尊厳に関わる原則として、その重要性を誰もが認識しながらも、それを権利として保持していくことは、難しい場合が多い、とも言える。

簡単な例を上げれば、施設入所の場面などでしょう。
「施設に入りたくない」と本人がいったとして、それがどこまで聞き入れられるでしょう?
それで半ば強引に入所となったとして、その人の自己決定権は、守られていると言えるのでしょうか?

結局のところ、自己決定には制限や制約が伴うのです。
しかし、その話はまた後日するとして。

まず今日は、自己決定の持つ意味について考えます。

私が自己決定の概念を考えるとき、いつも頭に浮かぶのはIL運動の理念です。

1960年代のアメリカで、一人の重度障害者が大学に通うために、様々な人の手を借りながらも独り暮らしを始めることにした。

それは、身辺のことには介護者の支援を受けながらも、精神的には解放された生活であった。
施設暮らしと比較して、いかに不便であろうとも、彼はそこで自立して、生活することを“選んだ”。
このことが大きな意味を持ち、やがて世界に広がるムーブメントになっていくのです。

これ以前の自立観とは、ADLに代表される身辺動作の自立度であったり、経済的な尺度であったりした訳です。
しかし、このIL運動においては、障害者自らが福祉の庇護を離れ、自立した生活を選ぶ、という自己決定こそがミソであった。

つまりは、精神的な自立。
生活主体者としての心構えそのものですね。

その根本にあるのが、「自分の生き方は自分で決める」という自己決定の概念にある、と私たちは認識するべきだと思うのです。

まずは、自己決定の持つ重要性についての、私の持論を述べさせていただきました。
次週は、バイステックの定義から、引き続き自己決定について考えてみたいと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 23:07| Comment(0) | バイステック
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