2013年03月03日

メタセレクション 累犯障害者。

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ども、メタマネです。
今日も、独断と偏見で勝手に書籍紹介をさせていただきます。

毎週、わりとこの書籍紹介を楽しみにしてくださっている方も多いようで。
徒然に書き綴ることよりも、こちらの反響の方が多いように感じております。

さて。

本を読むことの醍醐味のひとつは、「自分の知らなかった世界を教えてくれる」ということにあると思うのですが。
そういう意味から言えば、過去に読んだ本の中でも、最大級の驚きを与えてくれたのが、本日紹介する本と言っても良いでしょう。

山本譲司 著 「累犯障害者」 です。

タイトルからして、奥が深そうな感じのする本ですよね。
これは、かつて衆議院議員として選ばれながら、秘書給与の流用問題で獄中生活を送った著者、山本譲司氏による体験談を端緒にした、驚くべき刑務所の実態と、罪を重ねる障害者の現実に追った、非常に社会的意義の高いルポルタージュです。

まずは、こんなデータからご紹介。
我が国では、知的障害者として約45万9000人が把握されている(平成18年障害者白書より)。

筆者は、この知的障害者の総数が、「非常に疑わしい」と述べています。
人類における知的障害者の平均出生率はおよそ2〜3%。
およそ46万人という数値は、我が国の人口の0.36%に過ぎない。
一方、欧米各国の知的障害者の報告数は、国民全体の2〜2.5%と報告されている。
日本人には、知的障害者が生まれにくい、とする医学的データは見当たらない。
とすれば、本来ならば240万人から360万人の知的障害者がいてもおかしくないはず。

では、残りの人々はどうなったのか?
多くの場合、それらは軽度の障害であり、健常者として生活している、といいます。

しかしながら、どうしても他の人には“ついていけない”。
いくら真面目に取り組んでも要領が悪く、仕事も長続きしないことが多い。

社会のなかで取り残され、福祉の網にもかからず、行き場を失う障害者たち。

そして、衝撃的事実。
受刑者のうち、およそ3割は知的障害のある人々が投獄されている、という。

彼らの多くは、ごく軽微な罪で投獄されており、前科10犯以上の累犯者が50%を越える。
年をとり、要介護状態となっている受刑者も多い。
社会に居場所がない人々にとって、刑務所こそが安住の地であった。
山本氏は模範囚として、そんな彼らの介護を主に担当していた、というのです。

この本は、インパクトの強い章立てがいくつもなされており、それを並べるだけでも「私たちの知らない世界」の深さを教えてくれます。

序章 安住の地は刑務所だった―下関駅放火事件
一章 レッサーパンダ帽の男―浅草・女子短大生刺殺事件
二章 障害者を食い物にする人々―宇都宮・誤認逮捕事件
三章 生き甲斐はセックス―売春する知的障害者たち
四章 ある知的障害者の青春―障害者を利用する偽装結婚の実態
五章 多重人格という檻―性的虐待が生む情緒障害者たち
六章 閉鎖社会の犯罪―浜松・ろうあ者不倫殺人事件
七章 ろうあ者暴力団―「仲間」を狙い撃ちにする障害者たち
終章 行き着く先はどこに―福祉・刑務所・裁判所の問題点

深い。
深すぎる。

しかも、これが紛れもなく現代日本社会の現実なのだとすると、あまりに“知らない”ということが恐ろしい。
あまりにも冷たい日本社会の現実を、突きつけられたような思いがしました。

なぜこうなってしまうのか。
私は、障害に対する無意識の偏見や差別が根底にあるためではないか、と思います。

障害者が努力している様子は、美しいドキュメンタリーとして語られる。
一方で、障害者が犯罪を犯す、ということについては、触れることさえ禁忌であるかのように感じてしまう。
そうした偏見に迎合し、「美しく生きる障害者」観を押し付けるマスメディア。
福祉や医療に携わる者を、“聖職”のように祭り上げることも、同質の偏見によるものだと私には感じられます。

そうやって、都合のいい部分しか見ないから、こうした事態が起きても殆ど周知されない。
しかし、それが本当の意味での障害者差別であると、私は改めて言いたいのです。

そういえば、乙武さんも言われてましたね。
「障害者をの“害”をひらがな表記に変えろ、という気遣いが気持ち悪い」と。
私の無知がそうさせるのかもしれませんが、想いは同じです。

いずれにせよ、福祉に身を置く者として、「無知は許されない」と感じる内容ばかり。
都合の悪いことを、なるべくみないようにしてきた結果が、弱い立場の人々を、さらに追い詰めているとしか思えない。

正義とは何か。
福祉とは何か。

福祉職、必読の書と言っても良いのではないでしょうか。
posted by メタマネ佐藤 at 09:08| Comment(0) | メタセレクション

2013年02月17日

メタセレクション テラフォーマーズ。

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どもども、日曜日はいつものように、本の紹介を勝手にさせていただくメタセレクション。
最近、書籍の紹介が多かったので、今日は久々にマンガを取り上げます。

作 貴家悠 画 橘賢一
テラフォーマーズ です。

深く考えなくても、どっぷり熱中できる娯楽作品だと言えます。

まずなんと言っても、独特だが妙に説得力のある世界観が魅力。

「テラフォーミング」という言葉自体は聞いたことがある人も多いと思うのですが。
これは近未来、人工増加や環境破壊、温暖化によって、地球に人が住めなくなる前に。
例えば火星を緑地化して、人が住める環境にしていこう。
そして、火星に移住できるようにしようという、惑星改造計画のことを言います。

その言葉からも何となくわかるように、このマンガの舞台設定は、西暦2599年。
地球が環境悪化で住めなくなる前に、火星を改造しようとしたところから、話が始まるわけ。

平均気温マイナス58度で、元来生物が生存できない惑星である火星。
その理由は、火星の大気が0.006気圧しかないために、太陽光を吸収できていなかったことにあった。

しかし。

火星の地中には大量の二酸化炭素が凍っていることが判明する。
なので、ひとたび火星を暖めはじめれば、CO2がとけだして、温室効果で火星はどんどん暖まっていくだろう。

ではどうすれば、火星は暖まるか?

ある苔と黒い生き物を火星に大量に放ち、地表を黒く染め上げることで太陽光を吸収し、火星を暖めることができるのではないか。

その黒い生き物とは。
誰もが大嫌いな、あの“ゴキブリ”。
火星の過酷な環境でも、ゴキブリならギリギリ生き残れるだろう、と。
そういう選択だった訳です。

が、しかし。

火星の過酷な生活環境は、そのゴキブリたちに過剰な進化をもたらした。

俊敏さや生命力、力強さなどの身体機能はそのままに。
人間以上の大きさで、二足歩行する知的生命体へと変貌していた。

これは、そんな火星のゴキブリと、人間たちの戦いを描く、SF アクションというワケ。

普通の人間では、とても対抗できないくらい、火星のゴキブリは戦闘力が高いので。
火星を浄化する作業を行う者は、みな「バグス手術」という人体改造を受けている。
それは、様々な昆虫の持つ特性を武器として利用する、改造人間たちだった……。

とまぁ、こんな感じ。

要は火星を舞台にした昆虫戦争、といったところです。

で。

とにかく、火星のゴキブリたちというのが、残忍でめちゃくちゃ強い。
そして、フォルムがなんとも………「なんじゃコレ」という感じ。

まぁ、一回手に取ってみてください。
そこは、2013年の「このマンガがスゴい 第1位」ですから。
かなり夢中になりますよ!
posted by メタマネ佐藤 at 18:32| Comment(0) | メタセレクション

2013年02月03日

メタセレクション 子どもが語る施設の暮らし。

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今日は節分ですね。
節分というのは、次の日が立春ですから「季節を分ける」というところから来ています。

そのせいでしょうか。
今日はなんだか小春日和で。
空の色が、なんだか明るく感じられる。
町を歩いても、ダウンジャケットは必要ないくらいの気温でしたね。

さて。
今日もメタセレクションで、本のご紹介をしましょうか。

本日ご紹介する本は。
「子どもが語る施設の暮らし」です。
筆者は、児童養護施設で暮らしている子供たち。

児童養護施設と言えば。
様々な理由で、家族と一緒に暮らすことが難しい子供たちや、養育者がいない子供たちが暮らしている施設。

これは、そこで暮らす子供たちが、作文や詩、マンガなどで、自分の境遇や施設での生活について、率直な言葉で綴った本なのです。

まずは、この本がどういう意図で作られたのか、序文より抜粋します。

〜〜〜〜

私たちは、子どもの声を通して、施設生活の場をとらえ直してみようと思いました。
「子供の権利条約」に照らし、真に子供の権利を擁護する施設はどのようにあればよいのか。
社会的養育機能を担う施設から、施設生活の主人公である子どもの声に耳を傾け、子どもの気持ちに寄り添って考えてみたいと思ったのです。
私たち施設職員は、家庭環境を奪われ、虐待を受けて入所する子供たちにとって、施設が「生きていることがうれしい」と感じられる生活の場になることを目標にしたいと思っています。

〜〜〜〜

自分の人生を決める重要な時期に。
両親からの愛情を必要とする時期に。
選択権を奪われ、ひどく傷つきながらも、置かれた環境に順応しようと努力している子供たちの想い。
それが、この本を通じて痛いほど感じられます。

ほとんどの子供たちは、一般的な思春期に於ける、ふつうの苦悩を抱えながら、淡々と自らの境遇や心情を語っている。
それが余計に身につまされます。

月に5000円ほどの小遣い。
節約しながら友達と遊びにいったり。
アルバイトをして、高校を卒業して自活するために、必要な貯金をしています。
相部屋で生活していて、プライバシーがない、という悩みがあったりもします。

でも、「ここには友達がたくさんいるから楽しい」と言える子供たちがいるんですね。
その強さに、「自分は何をやってんだろうか」と教えられるんです。

この本には、熱い言霊が溢れています。
そんな子供たちの声として、一番多い訴えは。
「施設職員の大人たちは、もっと子どもの話を真剣に聴いて欲しい」というものでした。

「僕らは、ここ以外の場所を自分で選べない。」
「それは仕方ないと思っている。」
「でも、大人たちは、自分でここの職場を選んできている。」
「嫌ならここをやめることもできる。」
「だから、もっとちゃんと子どもの声に耳を傾けて欲しい。」
こんな風に訴えていました。

ここから感じられるのは。
「聴く」ことの持っている力。
対人援助の、基本的信頼関係というのは、やはり「きちんと話を聴く」ことから始まるんだなぁ、と感じます。

最後に、この本の中から、ひとつ詩をご紹介しましょう。
私は、強い決意と希望の感じられる詩に、深い感銘を受けました。

〜〜〜〜
僕たちは、不幸ですか?

「幸せになりたい」
「幸せになりたい」
そんなこと、誰もが願っていること
誰もが強く願いながら 一番かなわないもの
もしかしたら僕たちは
そこから最も遠くにいるのかもしれない
でも、まだ未来は決まっていないから
僕たちは精一杯頑張って
自分だけの絵(しあわせ)を描くんだ
まだ真っ白なままだから 僕たちは不幸なんかじゃない
僕たちは誰かのために在るんじゃない
僕たちは誰かに生かされているんじゃない
僕は 僕だけの為に生きる
僕たちは、きっと幸せになれる
だって、そらがどこまでも広がっているように
僕たちの未来も無限に広がっているんだもの

Are you ready?
posted by メタマネ佐藤 at 21:50| Comment(0) | メタセレクション

2013年01月27日

メタセレクション 僕の死に方。

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どもども、メタマネです。

日曜日は読書の時間、ということで。
本日ご紹介させていただく本は。

金子哲雄 著 僕の死に方〜エンディングダイアリー500日〜
です。

金子先生と言えば。
さんまさん司会の人気バラエティ「ほんまでっかTV」で、流通評論家として、身近な「お得情報」を教えてくれていた、お茶の間の人気者。
どこが「10円安い」とか、「こうすればお得!」とか、やたら細かすぎる情報で、笑いを提供してくれました。

顔がむくんでいたので、「むくみマン」なんてさんまさんに呼ばれていましたが。
しかし、この浮腫が、命を奪うほどの深刻な病状によるものであったとは、おそらく誰も気づかなかったのではないでしょうか。
私自身、とても大好きな先生でしたから、突然の訃報は寂しく感じましたね。

さて。

この本は、金子先生の肺カルチノイドが判明してから、亡くなるまでのおよそ500日について、ご自身の半生を振り返りながら、自ら病床で書かれた闘病記。

この本の原稿が校了したのは、金子先生自身の、死の5日前。
本書によれば、金子先生は死を迎えるその日まで、ベッドの上で仕事をし続けていた、とのことです。

本書では、41才という若さでこの世を去った金子先生の、人生観や死生観というものが、ご自身の言葉で語られています。
そこには、「流通ジャーナリスト・金子哲雄」の哲学が随所に垣間見え、死を目前にしても仕事にこだわる、意義ある生き方を追求する姿勢というものが感じられます。
そして、最期に金子先生が選んだのは、愛する妻に見守られながらの在宅死でした。

在宅という現場で、ご利用者様の生活を支える仕事をしている私たちにとっても、この本は大変よい学びを与えてくれるでしょう。
それは、「限られた時間を、いかに意義あるものにするか」ということではないかと思います。

私が一番に思ったのは、「こういう形に残る物を作る、ということには素晴らしい意義があるな」ということ。
考えてみれば、世にある名作というものは、ほとんどが遺作でもあるわけで。
その人が、「確かにそこに生きていた」とする証左は、こういう“残る形”にすることが望ましいわけです。

この視点は、私自身も支援のなかで意識しているところではありますが、それにさらなる具体性を教えてくれる本でした。
「なるほど、こういうポイントをおさえよう」とね。
まさに、金子先生の、ターミナル期における“おトクなワンポイント”。
ご自身の生きざまと合わせ、「お見事!」というほかありません。

巻末には、金子先生自身がかかれた「会葬礼状」が載せられています。
そこには「とにかく人に喜んでもらうことが原動力だった」と語る、金子先生の人柄が表れています。
あたたかな人柄が感じられるその文面を、ここでご紹介させていただきますね。

〜〜〜〜〜
このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席賜り、ありがとうございました。
今回、41才で、人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事等にて、お世話になっている関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
申し訳ございません。

もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!
第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことのできる「魔法のドア」があると伺っております。
そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

今回、ご縁がございまして、東京タワーの足下、心光院さまが次の拠点となりました。
「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出して頂けましたら幸いです。

〜中略〜

最後になりますが、本日、ご列席くださいました、みなさまの健康とご多幸を心よりお祈りしております。
41年間お世話になり、ありがとうございました。
急ぎ、書面にて御礼まで。

平成24年 10月1日 流通ジャーナリスト 金子哲雄
posted by メタマネ佐藤 at 11:54| Comment(0) | メタセレクション

2013年01月20日

メタセレクション 九龍城探訪。

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昨日はセンター試験だったんですよね。
受験生の皆さん、お疲れさまでした。

私は高校時代、センター試験を受けるような頭がなかったので、無縁の世界でした。
あまり真剣に勉強しようとしなかった、というべきか。

「四の五の言わずに頑張っていたら、どんな今があるのかな」などと思ったりします。

でもそれだと、今の自分はいないわけで。
どちらかを選ぶのならば、僕は迷わず今の自分を選ぶ。

人の縁や経験、広い意味で言う環境が、個人の人格形成に大きく影響を与える、と思います。

そんな訳で。
本日ご紹介する本は、そんな様々な人の「生き方」のリアルに接する、ルポルタージュ。

グレッグ・ジラード イアン・ランボット 著
九龍城探訪 〜魔窟で暮らす人々〜 です。

九龍城といえば。
国際都市香港に実在した、巨大なスラム街。

空港からほど近くにありながら、中国からも、イギリスからも支配を受けることがなかった無法地帯。
様々な犯罪の温床となり、「入ったら二度と出られない」と言われていた地域のことです。

しかし。

九龍城には、非合法の麻薬や犯罪だけでなく、低所得の一般的な家庭の方が多かった。
幅30センチほどの通りを挟んで、違法建築の高層アパートが立ち並び。
“劣悪”としか思えない環境のなかでも、様々な産業を興して生活を続けてきた住民たち。

この本は、九龍城の解体前に、そこで様々な営みを行ってきた住民たちに体当たりの取材を敢行し、「なぜ九龍城のようなスラムが誕生したのか」、「そこに生きる人たちは何を思って生活してきたのか」に触れる、恐ろしく人間臭い写真集なのです。

現在は解体されてしまいましたが、ありし日の九龍城の威容は、まるでひとつの要塞。
見るからに不衛生で、人が住めるとは思えないような環境で。
一時は3万人を越える人々が、ここに暮らしていたと言う。

コミュニティの中には、様々な専門家や専門店もあり。
魔窟の外に出なくても、そのなかで循環型の社会が形成されていた。

医師、牧師、清掃人、菓子製造業、喫茶店店主。

様々な立場の、様々な営みを。
その目で見てきた、九龍城を。
体当たり取材で、聞いていく。

この写真集には、そんな人々の「日々の営み」の様子がおさめられています。
それらの写真は、どれも生気に満ちていて。
人々が逞しく生きている様子が、よくわかる。

ある意味では、現代の日本人の方が、病んだ顔をしているのかもしれない。
そんな風に思わされるほど、皆生き生きとしているのです。

インタビューでは、誰しもが九龍城の解体を惜しみ。
多くの人は、その後の生活に対する不安を覗かせている。
中には、新しい環境に対する期待感を口にする人もいるけれども。

そんな人々の苦悩をよそに。
粛々と解体工事は進み。
アジアンカオスの象徴と呼ばれた九龍城は、姿を消した。

そんな、ありし日の九龍城に出会えるこの本。
なかなかディープです。
posted by メタマネ佐藤 at 10:10| Comment(0) | メタセレクション

2013年01月13日

メタセレクション 我が指のオーケストラ。

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毎日、寒い日が続きますね。
こんな日は、できるだけ家にこもって、暖かい部屋でのんびり過ごしたいものです。(年中ですけど)

というわけで。
本日も、そんなときにじっくりと読みたくなるマンガをご紹介しましょう。

山本おさむ 著 「わが指のオーケストラ」です。

山本おさむ先生と言えば。
「遥かなる甲子園」や「どんぐりの家」など、聴覚障害をモチーフにした作品が多い。
その作品は、当事者たるろうあ者の方々にも多く読まれています。

私はそのなかでも、今回取り上げる「わが指のオーケストラ」を、強くお勧めしたい。
単純なお涙頂戴の本ではないのですが、何回読んでも、涙なしに読むことが難しいほどの感動作なのですね。
そして僕はこの本を、ノーマライゼーションの教科書と言っても良いのではないか、と思っています。

少しだけ内容を紹介すると。

主人公の高橋潔氏は、ろう教育の父とも呼ばれる実在の人物。
物語は明治の末から始まります。

学生時代、音楽に夢中になり、フランスにわたろうとするが、家計の苦しさから諦めた主人公の潔。
夢に破れ、寂しさから今後は、音楽とは一切関わりのない世界で生きていこう、と考えます。

そうして選んだのが、ろう教育者の道。

「聞こえない子供を教える」ということがどういう意味を持つのか、この時の潔は考えもしていませんでした。

当時は、今の時代とは全く違う、障害に対する偏見や差別に満ちた時代。
深い苦悩を抱えて生きる、子供たちや家族。

そんななかで、潔は忘れようとしていた「音楽」に、再び出会う。
潔がこのとき感じた「音楽」とは、手話を通じてふれあった、子供たちの心の豊かさであった。

…この時の描写が凄いんです。
僕は何回読んでも、泣きます。
といいながら、この時の感動は、やはり本作を読まなくては伝わらないでしょう。

少し古い本なので、ちょっと手に入りにくいかもしれませんが、一人でも多くの人に読んでもらいたい本なんですよね。
posted by メタマネ佐藤 at 15:30| Comment(0) | メタセレクション

2013年01月06日

メタセレクション 人間の覚悟。

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さて、本年最初の日曜日。
新年一発目のメタセレクションをお届けさせていただきましょう。

本日ご紹介するのはこちら。

五木寛之 著 「人間の覚悟」です。

実はこの本、私の友人から「良い本があるから、是非紹介して」と言われた本なんですね。
僕は、いつも自分で「どの本が良いかな〜〜」と考えて決めているので、推薦図書を紹介するというのは、実はメタセレクションでは初めてのこと。

で、読んでみて、「うんうん、なるほど。これは良い本だ」と考えた次第。

五木先生は、ベストセラー作家でもありますし、私も何冊かこれまで読んた本がありました。

最初は高校の頃だったと思いますが、「生きるヒント」。
それから続いて「大河の一滴」や「他力」など。
五木先生の普遍的な“人間観”に関する読み物は、世相を反映しながら、「今の時代をいかにして生きるべきか」という人生哲学でもあり、いつも深く考えさせられます。

そして、今回の作品「人間の覚悟」について。

タイトルからして刺激的ですね。

そして、最初の一句がこうです。
「そろそろ覚悟を決めなくてはならない」。

さて、五木先生の言う「覚悟」とは、いったいなんのことを言うのか。

これは、一読してから言う方がいいと思うのですが、要するに「諦める覚悟」のことを言っています。

「諦める」というと、ものごとを途中で投げ出すような、無責任な印象が伴いますが、五木先生の言う「諦める」とは、そうではない。
「諦める」とは、「明らかに究める」ことだ。
はっきりと現実を見据えて、事実を受け止めることだ、と言うのです。

そうすることによって、何が見えてくるのか。

本文の中には、蓮如研究者でもある五木先生らしい、仏教思想が随所に織り込まれています。

それは、「生きること、それはすなわち苦である」という生老病死の思想がベースにあるように思われます。

思うようにならない人生であっても。
人から見ればとるに足りないような生き方であっても。
人生には、その人なりの壮大なドラマが用意されている。

そして、上昇一途の人生というのも、またあり得ないわけで。
人生の下り坂を緩やかに下るためには、「諦める」覚悟がなくては苦しむことになる、という訳です。

だからこそ、自分になし得ぬことは潔く諦める覚悟をもって。
日々、かけがえのない人生に、感謝して生きよう。

そんな風に読みとらせて頂きました。

本の中には、博識の五木先生らしい様々な例え話や引用が出てきますから、すこしずつ読み進めるのが個人的にはおすすめです。

一節ごと、ゆっくり噛み締めるように読みたくなる本ですね。
posted by メタマネ佐藤 at 23:11| Comment(0) | メタセレクション

2012年12月23日

メタセレクション へうげもの。

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どもども、日曜日恒例のメタセレクション。
本日は久しぶりに漫画の紹介をしましょう。

山田芳裕 著 へうげもの です。

山田先生の前の作品「デカスロン」は、10種競技というマイナー競技にスポットを当てたもので、僕の好きな漫画のひとつ。
そして、今回取り上げる「へうげもの」は、戦国武将のなかでもかなりマイナーな存在、“古田織部”が主人公の歴史物です。

この古田織部とは。

武を競う戦国の世にあって、武ではなく「茶の湯」で、世に多大な影響を与えた実在の武将。
千利休の弟子のなかでも筆頭格で、「破調の美」や「織部好み」「武家茶」等、師とは全く違う新たな美と、茶の概念を打ち立てた人物。
織田、豊富、徳川の時代、それぞれに仕えながら、武士、貴族、商人など様々な人物と繋がりをもち、主に交渉役として戦国の世に多大な影響を与えた、知将としてしられる人物です。

知将と言っても戦略ではなく、交渉という場面で力を発揮するというのがカッコ良いですね。
「へうげもの」は、その古田織部の生涯を漫画化し、山田風のディフォルメを加えた作品なんです。

“へうげもの”は“剽げもの”、つまりおどけたり、ふざけるもの、という意味。
「天才・信長から壮大な世界性を、茶聖・千利休から深遠な精神性を学び、「へうげもの」への道をひた走る。」と巻末には書かれています。

綿密な調査と時代考証。
そして大胆な仮説。
現実離れしたキャラクターの行動。

この漫画のテーマは、一言で言えば物欲と探究心。
戦国時代という、生き抜くことすら困難な時代を、武ではなく「数奇(すき)」で乗りきる剽げもの、織部。
なぜか名物を見ると、股間の金時様が反応してしまうという妙な癖。
「はにゃあ」とか「うぎゃあ」とか、意味不明な擬音で破顔一笑。

山田先生の作品は、キャラクター描写がダイナミックすぎて、ギャグっぽい雰囲気をかもしつつも、それが独特の味になってキャラクターに愛着が持てます。

戦国時代に開いた「茶の湯」という文化の花を。
あくまでエンターテイメントとして、漫画的に楽しむ。

そういう分かりにくいテーマを「漫画に取り上げよう」と考えた山田先生こそ、本当の「数奇者」かもしれません。
posted by メタマネ佐藤 at 10:17| Comment(0) | メタセレクション

2012年12月09日

メタセレクション 対象喪失。

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どうも、メタマネでございます。

昨日は訪問販売員さんの態度に怒ってしまい。
ブログの内容も、あんまりよろしくありませんでした。
この場を借りまして、お詫び申し上げます。

短気は損気ですから。
気持ちを良い方向に切り替えて、日々明るく楽しく過ごしていきたいものです。

しかし、怒りの感情はまだ切り替えやすいが。
辛いことがあったりして、気持ちが落ち込んでしまったりすると、なかなかそれを整理することは難しい。
自分の悲哀の感情に対して、どう対応していけば良いのか。

そんな方に。
今日は、こんな本を紹介させていただきましょう。

小比木啓吾 著 対象喪失 〜悲しむということ〜 です。

この本は、愛情や愛着の対象を失うことによる、悲哀の感情、そのメカニズムを明らかにする、という内容です。
心理学の本は、「なぜそう思うのか」という観念的な、形を捉え辛い概念を分析していくので、こうした本を読み慣れていない人にとっては、やや読みにくいかもしれませんが。

そもそも、この本の言う「対象喪失」とは何を言うか。
まずはそれを見てみましょう。

1、近親者の死や失恋をはじめとする、愛情・依存の対象の死や別離。
2、住み慣れた環境や地位、役割、故郷などからの別れ。
3、自分の誇りや理想、所有物の意味を持つような対象の喪失。

3のなかには、身体的自己の喪失体験も含まれます。
つまり、要介護状態などもそうですね。

そして、このような対象喪失に対しての「悲しみの仕事」をやらないと、うつ病の発症や、ガンなどによる死亡率が高まる、という。

実際、いくつかのデータが示されますが、分かりやすいのは配偶者の死による影響。
夫、または妻を失ったあとの、6ヶ月間における配偶者の死亡率は、通常の40%も高くなっているといいます。
つまり、対象喪失の悲哀は、命を奪うほどに深刻である、というもの。

しかし。

この喪失による悲しみを、きちんと悩み抜いて、適応していく過程を踏まなくてはならない、と本書は述べています。
一部を引用してみましょう。

「実は我々は、死別であれ、生き別れであれ、愛情・依存の対象を失うとき、すくなくとも1年くらいの間は、これらの情緒的体験を、心のなかで、様々な形で繰り返す。

この悲哀のプロセスを、心のなかで完成させることなしに、その途上で悲しみを忘れようとしたり、失った対象について、片寄ったイメージを作り出したりして、その苦痛から逃避してしまうこともある。

しかし、こうした様々な心の動きによって、対象喪失をめぐる自然な心のプロセスを見失い、対象喪失を悼む営みが未完成なままになる心理状態は、心の狂いや病んだ状態を引き起こす。

このような意味で、内面的な悲哀に耐え、失った対象と自分とのかかわりを整理するという課題は、苦痛ではあるが、どうしても達成せねばならぬ心の営みである。」

つまり、「悲しみの感情を大切にしなさい」ということなんですね。

この本は、今から30年ほど前に出版されました。
若干具体例として挙げられている内容は、今の世相とは合致しない部分もありますが。

人の営みには、普遍的な“なにか”もあるはずで。
この本は、そうした目に触れない、大切な“なにか”を教えてくれます。

私としては、この本とキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」は、ターミナルに関わる支援者は、必読書であると思います。
また期を改めて、そちらの本も紹介させていただきますね。
posted by メタマネ佐藤 at 09:15| Comment(0) | メタセレクション

2012年12月02日

メタセレクション 海と毒薬。

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どうも、メタマネです。
日曜日は、毎週勝手に気に入った本を紹介させていただいているのですが。
皆さんからも、けっこう「楽しみにしてますよ」なんて声かけをいただく一方で。
「よく本読む時間がありますね」なんてことも言われます。

うん、エッセイや読み物は、ちょこちょこっと読めますしね。
小説がホントは好きなんだけど、少しずつ読むと「熱」が下がるので、最近はあんまり読めてないですね、なんて答えてます。

しかし、今日のメタセレクションは、久々に小説から。

遠藤周作 著 「海と毒薬」です。

以前、遠藤先生の小説では「沈黙」を紹介しましたので、これで2作目ですね。

「沈黙」には、信仰と神の沈黙というテーマの対比がありましたが。
「海と毒薬」は、実際に戦時中に起きた、捕虜に対する生体実験をモチーフにした、人間の罪業意識について深く考えさせられる名作です。

物語は、気胸の持病を抱える「私」が、一人の医師に出会うところから始まります。
腕は良いが無愛想で、どこか陰のある医師、勝呂。

彼には戦時中、ある生体実験に関わって、捕虜の外国人を死なせた過去がある。

その実験というのは、
「人は、どれだけ生理食塩水を注射したら死ぬか」
「人は、どれだけ血管に空気を注入したら死ぬか」
「人は、肺を切除してどれくらいの時間で死ぬか」
という非人道的なもの。

戦争という特殊な環境のなか、当たり前のように、日常に横たわる死の中で。
次第に麻痺していく死生観。
その病院では、患者の人権は軽く、治療とも人体実験ともつかない行為が、日常的に行われていた。
気だるく、タバコを吸いながら、作業的に業務をこなす、どこか病んだ医師たち。
その中で勝呂医師は、一人の患者の死を通して、医師として、人として、最後の一線を失ってしまう。

そこに持ちかけられる生体実験の話。

捕虜となった彼ら外国人は、B29で日本中の町を焼いた者たちだ。
西部軍では、捕虜は捕まった瞬間に、銃殺刑と決まっている。
それを思えば、医学の発展のために、眠ったまま死ねる彼らは幸せではないか。

こうして、生体実験に勝呂は「断ろうと思えば断れた」のに、唯々諾々と参加を決める。
そうした様子を見た同僚から、「なぜ断らないのか」と尋ねられた勝呂は、こう答えます。

「神というものはあるのかなあ」
「なんや、ヘンな話やけど、こう、自分を押し流すものから――運命というんやろうが、どうしても抜けられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神と呼ぶならばや」
「俺にはもう神があっても、なくてもどうでもいいんや」

深い絶望につつまれた心を、もやの中に隠すようにして、生体実験に関わる者たち。
そして、戦争後罪に問われ、償った後も“罪の意識”に囚われながら生きている……。

つまり「海と毒薬」は、戦時下の生体実験という、実際に起きた事件をモチーフとして、日本人の「罪の意識」を描き出している作品。

ちなみに。

実際に起きた事件に関わった人物は、この小説の発表を受けて、改めて体験手記を残しています。

それによると、このときは戦時下でもあり。
憎き米英に対する人体実験は、非人道的であったとしても、軍からの要請に基づいて行われる、貴重な戦争医学としての、むしろ「勇気ある行動」と捉えられていたし、そう思い込んでいた、というもの。

つまり「罪」というより、「戦時下の洗脳」に意識上の問題がある、といっている。
これもまた、ひとつの“人間の意識”に対する問題提起であるのかもしれません。
posted by メタマネ佐藤 at 14:53| Comment(0) | メタセレクション

2012年11月04日

メタセレクション 失敗学のすすめ

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大分寒い日が多くなってきましたね。
来週の日曜日は、創心会大祭り。
職員はともかくとしても、ご利用者様が寒い思いをされないように、もう少し暖かい日が続いて欲しいものだと願います。

さて、日曜日のお約束、メタセレクション。
本日は、こちら。

畑村洋太郎 著 「失敗学のすすめ」 です。

畑村先生は、機械工学の専門家。
現在は東京大学工学系研究科の教授を務めておられ、機械設計が本来の専門分野です。

「失敗は成功のもと」といいますが。
人が新しいものを作り出そうとするとき、最初は失敗から始まるのは当然のこと。
人はその失敗から学び、考えを深めて行く。

しかし、今の日本の教育現場では、「決められた設問への解を最短で出す方法、すなわち「失敗しない方法」を学ぶばかり。
これでは自分の力で考える創造力は育たない。
それこそが、日本人の欠点として諸外国から指摘されていることでもある。

つまりは、創造力を培うためには、失敗から学び、自分で課題を設定することが必要だ、と畑村先生は言います。

そして、畑村先生は、古今東西のあらゆる“失敗の事例”をひとつの学問として体系化した。
これを失敗学のすすめ、として世に出したのは、今から10年も前のこと。

今改めて当時の記事を読み返すと、「これは……」と手が止まる部分があります。

それは、失敗情報が減衰する、ということについての典型例を示す記述。
その中にあったのが、昨年の津波被害を予見するかのような内容でした。

三陸海岸を実際に歩いて見聞した、という畑村先生。
津波被害を大きくしやすいリアス式海岸であるばかりか、沖には地震の巣である日本海溝があるため、過去何度も津波による被害を受けてきた。
三陸海岸の町を注意して歩いてみると、あちらこちらに津波の石碑を見つけることができる。
これは大規模な津波が押し寄せる度につくられたもので、「ここより下には家を建てるな」という類いの言葉が刻まれた石碑も少なくない。
にも関わらず、そのすぐしたに建てられた団地。

これを畑村先生は、「日々の便利さの前には、どんな貴重な教訓も役に立たない」と嘆いていました。
そして、その10年後に、あの痛ましい震災が起きた。
なにか暗示的ですが、これは過去の教訓をいかせなかった、というだけでなく、失敗というものの持つ意味を、きちんと伝えられなかった、また失敗にはそういう「減衰する性質がある」という認識を持つことが大切であると、示しているのです。

あらゆる古今東西の失敗事例を分析し、失敗しないことよりも、どうすれば失敗を活かすことができるかに着目した「失敗学のすすめ」。

一昔前のベストセラーですけど、今読んでも十分、新しい発見が得られる、名著だと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 17:54| Comment(0) | メタセレクション

2012年10月28日

メタセレクション バカに見える日本語。

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ハァ〜イ(・∀・)ノ
秋晴れヨロシク!

脳天まで能天気な、ピースフルな日常のメタマネです。
そんなワケで、本日はまたしても日曜日ですので、勝手にメタセレクション。

本日ご紹介させていただく本は。

樋口裕一 著 「バカに見える日本語」です。

サブタイ、「何気ない一言から、知性が疑われます」とな。

ウワォ(@ ̄□ ̄@;)!!
ヤバイ。
オレ、バカ全開かもしんないな。
ちょっとチェックしてみよう。

そんなわけで、タイトルから衝動買いしてしまったのです。

これがまた、なかなか興味深い内容で。

いくつかのカテゴリに分けて、「なぜバカに見えるのか」を考察しているのですが。
この際個別の細かい話はよしとしましょう。

本書を読む上で大切なのは。
その言葉が“つい”出てしまうのは何故か。
そして、その言葉が「なぜバカに見えるのか」ということを書いている。
この基本理解でしょう。

その言葉自体に目を奪われて「ああ、この言葉は使わないほうがいいな」となるのは、単なる“言葉狩り”であって。
この“どうして”が大事なのです。

本書を読む限りでは、それはいくつかのパターンに分けてとらえることができる、と思われました。
それは、章立てからも、ある程度分類が見えます。

それは、
1、ごまかし
2、自己中心的
3、距離感が分かっていない
4、ワンパターン
5、理性がない
な日本語、というカテゴリ分け。

ごまかしの言葉を使うと、「あ、この人本当は分かってないな?」と侮られる。
自己中心的な言葉は、感受性にかける、傲慢な本性が浮かび上がる言葉。
距離感がわからない言葉は、空気が読めない、他者への配慮にかける言葉。
ワンパターンなことしか言えない人は、自分で考えた答えや結論の芯が無いということ。
理性のない言葉は、自分の感情すらコントロールできない“お子ちゃま”だ、という“見られ方をする”ということなのです。

要するに。
「バカに見える」カテゴリ分け。

本書では、さらに細かく言葉ごとに「なぜそれがバカに見えるのか」を考察していきます。

言葉は生物ですから。
どんな場面で、どんな言葉を、どんな感じで使うのか、というところまでシチュエーションを考えないと、「バカに見える」という“解”にたどり着きません。

しかし、その例題のパターンは、ある程度“よくある場面”。
この本を読むと、そんなシチュエーションで、この本にあるような言葉を使う人は、確かに「ああ、バカなこと言ってんなぁ」と、場面が目に浮かびます。

もちろん、それは自分に対しても言えることで。
「ああ、確かにそんな感じで言ってたわ……」と考えたら、ちょっとヘコむ。

まぁでも。

物事は捉えようですからね。

バカに見えたとしても、それで侮られるような相手なら、本気で付き合いもできないだろうな、という気もする。
「相手のバカな面ばかりみて、自分が賢くなったような気がする」。

これが一番、バカかもしれません。
posted by メタマネ佐藤 at 08:44| Comment(4) | メタセレクション

2012年10月21日

メタセレクション 世界で一番美しい元素図鑑。

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ども、メタマネです。
今日はいつものように、日曜日恒例のメタセレクション。
本日取り上げるのは、図鑑です。

その名も「世界で一番美しい元素図鑑」。
著者は、元素収集マニアのセオドア グレイ氏。

元素と言えば。
一般的には物質の、もっとも小さな構成単位。

「水兵リーべ、僕の船。七曲がりシップス、クラークか…」
なんて具合に周期表を覚えたもんですね。

この図鑑は、それにそって元素記号にゆかりのある写真を載せ、一つ一つその特徴を解説している、ちょっと変わった科学図鑑です。
著者の解説が全ての元素に付くのですが、これが趣味爆発、愛情たっぷりで素敵なのです。
「ああ、この人は本当に好きなんだなぁ」と感じさせられます。

そして、書題にもあるように、「世界一美しい」というのは、確かに納得できる美しさ。

著者のセオドアグレイ曰く、目指したのは“ハリーポッター”の世界なんだとか。
「魔法学校ホグワーツには、こんな図鑑があるんじゃないだろうか?」というコンセプトなのだそうです。

うん、確かに。

本を開くと、魔法のように幻想的な、元素記号の世界が広がっています。

元素の周期表なんて、面白いものでもなかったし。
記憶も遠い昔に置いてきましたけど……。

これは、そうした目もくれない、つまらないと思っている物の価値うぃ、改めて感じさせてくれる本だと思います。

図鑑ですから、買うとちょっと高いですけども。
それだけの価値はあると思うな。
posted by メタマネ佐藤 at 08:20| Comment(0) | メタセレクション

2012年10月14日

メタセレクション 「鬼談百景」

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おはようございます。
昨日の講義で、再びのどがやられてしまったようで。
あ〜エヘン虫(死語)。

今日は日曜日ですから、また本の紹介をしましょう。

小野不由美 著 「鬼談百景」です。

実は私、古今東西の怪談話というのが大好物。
大好きな“お笑い”とは別の意味で、短い語りのなかで、どのような恐怖や不思議を語るか、というのが醍醐味です。

ラフカディオ・ハーンから稲川淳二まで。
それこそ雑食しています。

さて。

小野不由美さんと言えば、顔出しNGの、存在からしてすでにミステリー作家。
長編の“死鬼”や“十二国記”などが代表作と言えるでしょうか。
怪奇小説、伝奇小説の大御所ですね。
映像化されたり、漫画になったりと、娯楽性も高い作品が多い。
緻密なプロットを、長編のなかで練り合わせていく過程を読むと、「この人どんな頭の構造してるんだろう?」と思ったりします。

しかし、今回の作品は、ちょっと趣が違います。

この本は、タイトルからもわかるように、いわゆる「百物語」。
日本の伝統的な怪談会のスタイルのひとつですね。

数人が集まって、怪談のエピソードを100個持ち寄る。
その話を一人ずつしていって、最後の百話目が終わるとき、本当の怪異が起こる………。

キャーーーーーー Σ(-∀-;)

……。

要は、怪談のショートエピソードを、99話詰め込んだ作品、ということなのです。
最後の1話は「ご自分でどうぞ……」ということでしょうかね。
こういうの、粋ですね〜。

そして内容は、“さすが”という感じ。
短編ながらも、恐怖のツボをおさえた、良質な怪談話の宝庫。
これだけの奇妙なエピソードの質を、叩き出せるという所が「凄いなぁ」と感じるのです。
やはり怪談は、ひとつの文化だなぁ、などと実感。

まぁ、気軽に読める本だと思いますが、怖いのが苦手な人にはお勧めしません。
だって、リアルに気持ち悪い話が多いですからね……。

ギャーーーーーー (|| ゜Д゜)

(もうええっちゅうに)
posted by メタマネ佐藤 at 09:17| Comment(0) | メタセレクション

2012年10月07日

メタセレクション 極悪がんぼ。

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今日も日曜日ですから、私の好きな本を紹介させていただきましょう。

最近は、ずっと書籍の紹介でしたから、今日は久しぶりに漫画の紹介です。

東風孝広 画 田島隆 原作 「極悪がんぼ」「激昂がんぼ」です。

このお二人の原作で、ドラマ化もされた「カバチタレ!」の“裏社会番”とでも言えるでしょうか。

私、カバチタレも大好きで、これを読んで行政書士試験を受けてみた、ということもあったんですが。
実は、もっと好きなのがこちらの極悪がんぼ。
やってることはメチャクチャなんだけど、とにかく人生の縮図が見られる、めっちゃ勉強になる漫画なのです。

ちなみに、「がんぼ」というのは。
「悪ガキ」というような意味の広島弁。
「カバチタレ」は文句言いみたいな意味です。
ということで、いずれも舞台が広島で、時間軸も共有しています。
どちらの作品も作者が同じで、連載も同時期ですから、時々登場人物がリンクしたりもするんですね。

主人公は、ビッグになりたいと願う茶髪の若者、神崎くん。
彼の職業は「事件屋」です。

事件屋とは、あの手この手の非合法な手段で、様々な事件解決を行う裏社会の職業。
物語は、主人公の青年が、自分の犯した罪のカタに、タコ部屋のような場所に、身売りされてしまうところから始まります。
その手配をしたのが、のちの仲間となる事件屋。

奴隷のような扱いを受けながら、自分はこのまま終わってしまうのか…。
いや!
俺はビッグになるんだ!

ということで、その島を逃げ出して、自分を売った事件屋に協力を頼み、自身も事件屋の世界に飛び込んでいく。
ただ、この事件屋。
実際に存在するそうですが、なにしろやっていることだけでなく、存在自体が非合法な職業。

何でもアリで、とにかく他人をどれだけ不幸にしようとも、自分さえ儲かればいい、という様な、魑魅魍魎が跋扈する世界だったのです。

とりあえず、軽く内容を紹介すると……。

焦げ付いた手形を回収したり。
銀行を騙して融資を引き出したり。
依頼先すら騙して、商品を横流ししたり。

とにかくメチャクチャやります。
ほんとに、人間の醜さ全開。

……に見えるんですが、実はものすご〜〜く人間の本質に迫る、人情深い一面も併せ持つ作品でもあるんですね。

主人公の神崎くん。
確かに無茶はするんだけど、一途で憎めない。
彼自身、親に捨てられた過去を持ち、中学を卒業したら働くしかなかった。
大きなトラウマを抱えながら、それでも冷たい現実に向き合って、懸命に意地を張って、厳しい世界で生きている。

最初は、「こんな世界があるのか……。身近にいたら嫌だな」ぐらいの感覚で読んでいたんですけど。
次第にグイグイ世界に引き込まれていきます。

とても濃い内容の作品ですから、とても一言で説明できませんが。
一言言うならば、「社会勉強になる」漫画なのです。

続編の“激昂がんぼ”では、成長して裏社会のフィクサーとなった神崎くんの活躍が見られます。
タイトルからすると感情的な感じですが、官僚のパワーゲームや、自治体の内部事情と政治、表に出ない水面下の折衝などが描かれているので、内容的にはかなりクレバー。
成長した神崎くんは、とにかく存在感抜群でカッコええんです。
長年のファンである私からすると、超シビれる。

そして、この作品もロングセラー。
第1巻の発売が2001年ですから、実に10年以上になります。

この二人の作者は、“カバチタレ”と“極悪がんぼ”という内容の濃い作品を、10年以上も平行して作り続けている、ということなんですね。
しかも、原作の田島先生の本業は行政書士。
スゴすぎます。

カバチタレと極悪がんぼだけで、本棚を2列にして、ゆうに2段分。
なかなか圧巻です。

あと、カバチタレは途中の刊でも違和感なく入れますけど、極悪がんぼは最初から続けて読まないと、登場人物の相関が分かりにくいですので、最初から読み進めることをお勧めしますね。
posted by メタマネ佐藤 at 08:11| Comment(0) | メタセレクション

2012年09月30日

メタセレクション パーソナリティ障害。

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台風がだいぶ接近しているようで。
自宅は強い雨に見舞われています。

なんとなく、憂鬱な感じのする日曜日ですが、今日も書籍の紹介をさせていただきましょう。

岡田尊司 著 パーソナリティ障害 〜いかに接し、どう克服するか〜 です。

PHP新書のベストセラーになった本ですね。
かつては「精神病質」とも呼ばれていた、人格形成の問題や、性格の歪み。
そうしたパーソナリティ障害のタイプについて、具体例を挙げながら、「なぜ起こるのか」「どう対応すれば良いのか」ということを解説している本です。

この本に興味を持ったのは、「どうしてこんなに分かり合えないのか」という、自身の苦悩がきっかけでした。
私生活でもまぁ、そういう悩みはあったんですけど、それはひとまず置いといて。
仕事で、「なぜこの人はこのような考え方をするのだろうか」ということが分からずに、対応に苦心する利用者さんが、数名おられました。

自分の正義を、毎回数時間話し続ける人。
嘘が多く、実際の状況がつかめない人。
自分さえよければ、他人がどうなっても構わないという人。

他者とうまく交われず、孤独を抱え、苦しんでいる様子は感じられる。
しかし、行動はむしろ他者を遠ざける、支離滅裂な状況。

「どうしてこうなるんだろう?」
「どうすれば、楽に対応できるだろう?」
そんな答えを求めて購入した本です。

この本を通じてわかるのは。

正常とパーソナリティ障害の差は、実は紙一重であるということ。
適切な対応を知れば、信頼関係もしっかり作れるということ。
私生活で応用するのは、「正直キツい」ということです(苦笑)。

仕事だと思えば、それができる。
でもプライベートなメンタルでは無理。
この実感が得られたことには、大きな意味がありましたね。

そして、この本に例として挙げられる著名人。
その多くは多大な成功を納めているのですが、一方で「変わり者」としても知られる人達。
「へぇ〜、この人そうだったんだ」と、けっこう楽しい感じで読めます。

例えば。

「17歳のカルテ」で知られる女優、ウィノナ・ライダー。
これ、僕の大好きな映画のひとつなんですが。
この映画は、境界型の特徴をよくとらえているそうです。
そして彼女自身も、境界型パーソナリティ障害の傾向があるそうです。

他にも、ココ・シャネルやスターリン、女盗賊プーランなどが、その典型例として挙げられています。
パーソナリティ障害を昇華して、多大な功績をあげた人物もいれば、負の面に飲み込まれ、悲惨な結末をたどった例も、いくつか紹介されています。

そして。
自分が翻弄された“ある人”にも、バシっと当てはまるところがあって。
「ああ。人生は厳しいなぁ…」と思い知った次第(泣)。

著者である岡田先生自身が、若い頃に引きこもり、哲学の世界で遊んでいた経歴があるそうで、東大の哲学科をやめて、京大の医学部に入り直した、という面白い経歴の持ち主。
小説も書かれる多才な先生なので、文章自体もすごく読みやすかったです。

最近記事でも取り上げましたけど、「新型うつ」に繋がるヒントもあるように思います。
利用者さんに限らず、人間関係で苦労している人、必見の本ですよ!
posted by メタマネ佐藤 at 09:21| Comment(0) | メタセレクション

2012年09月09日

メタセレクション 「きみはいい子」

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さて。

日曜日恒例のメタセレクション。
勝手に書籍紹介です。

今回ご紹介するのは。
中脇初枝 著 「きみはいい子」です。

なんだか、ちょっと不思議なタイトルですよね。
しかし、内容は相当ディープです。

ある町を舞台にして、そこに暮らす様々な家族模様を、オムニバスで描いた作品。
新米教師、ママ友、PTA、近所の高齢者。

全編通じて描かれるテーマは、児童虐待。
それぞれの主人公の立場で、「どうしてそうなってしまうのか」ということが、生々しくも淡々と綴られていきます。

表題にもありますが、「いい子」という言葉に感じるちょっとした歪み。
それは、「誰にとっていい子なのか」ということを暗に問いかけます。
子供の立場にたって、「きみはいい子だね」と言われるということは、いい子であることを、大人に強制されることであるのかもしれません。

つまりは、親(大人)の言うことを聞く子が「いい子」。
世間の一般常識に照らしてみて、平均点以上が「いい子」。

未熟さゆえに、親の期待に応えきれない、「いい子」になれない子供たちは。
本当ならば最も愛情を注いでくれるであろう、自分の親たちから「躾」という名目の罰を受ける。
愛情を歪んだ形でしか受け取れない子供たちは、「自分は世界で一番悪い子だ、だから怒られるんだ」と、自分を責める。

自分自身に対する、肯定的な感情が育たないまま大人になり。
虐待は世代を超えて受け継がれていく。

世代を跨ぐごとに、次第に澱のように積み重なった、歪んだ愛情のかたち。
それは、現代社会の閉塞感とも相まって、誰の目にも触れず、子供たち一人ひとりの身に降りかかってくる。

この小説は、そんなエピソードがいくつか綴られています。

第1話「サンタさんの来ない家」。
いつも、夕方5時まで家に入れてもらえない、痩せた少年は先生に言います。
「みんなの家にはサンタさんが来て、プレゼントをくれる。
でも、僕がわるい子だから、うちにはサンタさんが来ないんだ。」

私たちも、時に高齢者虐待の現場に出くわす場合もあります。
その原因の多くは、愛情や執着の感情のもつれにある場合が多い、と感じます。
家族の間に生じる、多少の歪みや甘え。
築くことができなかった、相互理解や信頼、互いの必要性。
それが高齢者虐待という事象に、特化して現れる。
なので、家族史に対するアセスメントや、ジェノグラム、エコマップを駆使して関係のもつれを整理していくようにする。
なので、この小説に出てくるいくつかのエピソードが、とても興味深い。

世間一般的な認知としては、虐待の加害者は「血も涙も無い」という風に語られる場合が多いように思います。
ですから、小説という形でエピソードが語られるというのは、画期的な事だろうと思いますね。

児童虐待は、世代間連鎖が大きな課題に挙げられます。
自分がされた虐待を、自分の子にもしてしまう。
この本を読むと、「どうしてそうなってしまうのか」が、何となくわかります。

そして、どのエピソードでも。
切なくも、ともる希望がある。

うしろの帯にも書かれていますが。

「それぞれの家にそれぞれの事情がある。
それでもみんなこの町で、いろんなものを抱えて生きている。」

まさに、そんなお話です。
posted by メタマネ佐藤 at 08:29| Comment(0) | メタセレクション

2012年08月26日

メタセレクション 「置かれた場所で咲きなさい」

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本日は日曜日です。
なので、またまた自分が好きな本の紹介を、勝手にさせていただきましょう。

さらに。

本日でメタマネブログは更新600回を迎えました!

う〜む、徒然なるも、よくもまぁ“飽き性”の私が続けられているものだ、と自分ながら感心しますね。

さて、そんな“600回記念”という訳でもないんですけど。
本日ご紹介するのはこれです!

渡辺和子 著 「置かれた場所で咲きなさい」

最近読んだ本のなかでも、特にふか〜い共感を覚えたこの本。
著者は地元岡山市の名門女子大、ノートルダム聖心学園の理事長を勤められている方です。

敬虔なクリスチャンである著者の、“こころがけ”が、分かりやすく、優しい言葉で「語りかけられている」と感じるこの本。

それを一節ずつ、朝の時間に読んでいるのが私の読み方。
仕事に行く前に読むと、今日という1日に感謝できそうな気がしてくるんです。

では、少し引用させていただきます。

〜ほほえみを絶やさないために〜

「顔で笑って、心で泣いて」という言葉は、何となくわかるのですが、心に笑顔を持つというのは、どのような場面をいうのでしょう。
信仰詩人と言われ、若くして亡くなった八木重吉が、次のような詩を残しています。

いきどおりながらも
うつくしいわたしであろうよ
哭きながら 哭きながら
うつくしいわたしであろうよ

この詩がうたっている「うつくしいわたし」こそ、心に笑顔のある人なのかもしれません。

三十代の後半で、四年制大学の学長に任命された私は、教職員や学生から、あいさつされるのが当たり前と考え、そうしない相手に“いきどおり”を感じる傲慢な人間でした。

その私が、ある日「ほほえみ」という詩に出合って変わったのです。
その詩の内容は、自分が期待したほほえみがもらえなかった時、不愉快になってはいけない。
むしろ、あなたの方から相手にほほえみかけなさい。
ほほえむことのできない相手こそ、あなたからのそれを、本当に必要としている人なのだから、というものでした。

最初、「そんな不合理な」と思った私はやがて、これこそキリストが求める「自分がされて嬉しいことを、他人にしなさい」という愛の教えなのだと気づいて実行したのです。

ところが、私からのほほえみを無視する人たちがいました。
そんな相手に“いきどおらず、美しいわたしであるために”、私はこう考えることにしたのです。

「今の私のほほえみは“神さまのポケット”に入ったのだ」と。

そう考えて、心の中でニッコリ笑うことができるようになりました。

美しいわたしであるために、むしろ、ありがたくさえ思えるようになったのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

素晴らしい考え方だと思いました。

これはあくまでも一説ですが。
どこを開いても、こうした渡辺先生の「生きるヒント」が盛り沢山。

「ああ、今日はこれに気を付けてやってみよう」と思えることばかりです。

私は仏教徒なので、「仏様のすそに入ったのだ」と思うようにしましょう。
僕も今日から、アルカイックスマイルです。
posted by メタマネ佐藤 at 12:28| Comment(0) | メタセレクション

2012年08月12日

メタセレクション 勝言。

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さて、今日も日曜日ですから。
独断と偏見によるメタセレクションをお届けします。

今日取り上げるのは。
アスリート勝言研究会 著 「人生の励みになるアスリートたちの言葉 勝言」です。

実は、昨日たまたまトイレ休憩で寄ったコンビニに置いてあったこの本。
ビビッと感じるものがあり、即決購入してしまいました。

先週もスポーツ選手の名言集を取り上げたばかりですけどね。
でも、こういうのは旬が大事なんで。

そしてやっぱり、この本もとてもステキな言霊で溢れている。
スポーツ選手の言葉というのは、やはり真剣勝負の世界で勝ち抜いて来た人の言葉だけに、重みが違うと感じるんですね。

まさしく、勝利を目指して日々戦い続けている、アスリートたちの「勝言」というわけです。

では、その“勝言”を、すこしご紹介しましょう。

「苦しいときは、私の背中を見なさい」 〜澤穂希〜

「人生の“…たら”“…れば”を考えるより、どんな状況下でも何を、どうすれば自分にとって最高の道となるのかを見つけ出す方に時間をかけるほうが有意義ですよね」 〜荒川静香〜

「称賛され続けていると、自分の考え方は間違っていないと思い込んでしまう」〜為末大〜

「妻を愛せなければ、なでしこを愛せない」 〜佐々木則夫〜

う〜〜〜〜ん、カッコ良いですね、アスリート。

他にも名言や、スポーツ選手たちのエピソードがめじろ押し。

私、こういう名言本が好きで、ちょっとした時間に読めるように、いつでも鞄に忍ばせています。
なんというか、元気がもらえるんですよね、こういうの。

この本、たぶん今しか買えない本だと思います。
皆さんも宜しければ、ぜひコンビニに走ってください。
posted by メタマネ佐藤 at 10:16| Comment(0) | メタセレクション

2012年08月05日

メタセレクション ビジネスに活かす一流選手の言葉。

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おはようございます。
ロンドンオリンピック、メダルラッシュで盛り上がってますね!

見所が多すぎて、どうにも困っちゃいます (泣)

というわけで、今日はそんなスポーツにちなんだ本をご紹介。

ビジネス哲学研究会 編著 「ビジネスに活かす一流選手の言葉」です。

勝負の世界に生きる、一流プロ選手たちの金言やエピソードがめじろ押し。
そのどれもが私たちに重要な示唆を与えてくれるもので、タイトルにあるビジネスにとどまらず、「生き方」の重要なヒントが含まれているように感じます。

というわけで、いくつかの名言をご紹介。

苦しくなったら、苦しみを味わえるだけ生きているんだと感謝した。
うれしいときはまた喜べるんだと、また感謝した。
〜有森裕子〜

失敗したことのない人間は成功することもない。
たゆまざる挑戦が成功につながるからだ。
〜カール・ルイス〜

私は過去を振り返らない。
今のことだけを考えている。
〜伊達公子〜

よかったことの現実も、悪いことの現実も、次へ向かう糧にしたい。
〜高橋尚子〜

……などなど。
これらの熱い珠玉の名言に、選手たちのエピソードが付いてくる、という訳です。

オリンピックで活躍している選手たちの、華やかな姿というのは一瞬のことですが。

そこに至るまでの長い道のりには、果てしない努力の積み重ねがあり。
それをささえ続けてきた人々の存在があり。

……うーん、なにかに打ち込んでいる人々の姿というのは、本当に感動するし、その姿勢に学ばされます。

頑張ろう、頑張らなきゃな、と思う勇気をいただける。
そんな気がいたします。
posted by メタマネ佐藤 at 09:50| Comment(0) | メタセレクション