2012年09月10日

連載「バイステック」〜まとめ〜

およそ半年に渡って、毎週取り上げてきた連載「バイステック」ですが。
7原則についてはひととおり解説しましたので、本日からは、まとめに入らせていただきましょう。

7原則とは。
いわば、ソーシャル・ケースワークの理念。

よって、お題目のように言葉として覚えるのではなく。
それぞれ、どのような意味を持つのかを理解することが大切だと思います。

で、改めて各項目のまとめをさせていただくのですが。
これはあくまでメタマネ個人の、ごく簡略化された意訳に過ぎませんので、詳しくは原著か、これまでの連載記事を読み返して頂ければ、と思います。

それでは、7原則。

1、個別化
誰しもが、固有の権利を持った、特別な存在である。

2、意図的な感情表出
利用者は、自分の“気持ち”を分かって欲しいと願っている。

3、統制された情緒的関与
ワーカーは、自分の感情をしっかりコントロールし、自覚しよう。

4、受容
ありのままのその人を、“受け入れる”ではなく“受け止める”。

5、非審判的態度
自分の価値観で、良し悪しを判断しないようにしよう。

6、自己決定
自分の事は、自分で決める。それが自立の第一歩。

7、秘密保持
相談の秘密を守る。そうすることで信頼は育つ。

そしてさらに言えば、ワーカーとクライエントの相互作用に於ける“3つの方向性”を、自覚しながら関わることができるかどうか、という点が重要になります。

簡単に言えば。
@クライエント→ワーカー (話す)
Aワーカー→クライエント (聴く)
Bクライエント (気付く)
という3方向。
ここで言う「聴く」は、ワーカーが7原則を意識した適正な反応ができているかどうか、ということが大切なのです。

もっと分かりやすく例えれば。
自分の悩みごとを、信頼できる人に聴いてもらうと、考えが整理できてスッキリするという体験、誰しもあると思います。
つまりは、そういう事なんです。

7原則を踏まえて、適切に対応できていれば、この「話す→聴く→気付く」というサイクルが正しく機能して、信頼関係が醸成されていく。
だが、この原則に照らして、どこかに齟齬がある場合には、これがうまく機能しない、ということになるワケです。

そして。

ちょっと乱暴な論法ですが、私は相手がどのような人であれ、信頼関係がなくては、仕事として成り立たないものだと思います。

「理念なき実践は暴挙であり、実践なき理念は空虚である。」

理念と実践は、両輪でなくてはなりません。

実践は、経験によって磨かれますが。
理念は、意識によって磨かれる。

いわば、7原則は、ケースワークの実践哲学ですね。

P.S.
この連載を、半年あまりの期間続けてみて、途中でかなりしんどくなったりもしたんですが。
感想や反応をくださる皆さんのお陰で、なんとか続けることができました。
次はどうしよっかな?
またこんな感じで、何かやってみようかな?
どちらにせよ、こういう連載物を書くには、充電期間が必要ですね。
皆様からのご意見、ご感想をお待ちしています。
posted by メタマネ佐藤 at 22:46| Comment(3) | バイステック

2012年09月03日

連載「バイステック」〜秘密保持その3〜

さて、前回に続いて、第7原則「秘密保持」です。

先週は、バイステックの言う秘密保持と、個人情報保護法に見る法的義務の違いについて、というテーマで書かせていただきました。
同時に、バイステックの生きた時代と、現代社会における秘密保持に課せられる責任と意義、という部分もクローズアップすべきかとは思いましたが、ちょっと内容的に深くなりすぎるので、私もブログで書く自信がない……といったところでして。
もうちょっと勉強できたら、その辺も考察したいとは思ってます。

さて、本日は。

“秘密保持における原則の限界”について取り上げてみましょう。

この「限界」という言葉に、違和感を感じる人もおられるかもしれません。
相談援助における秘密保持の重要性を、援助者であれば誰もが認識できる所ながらも、それが果たせない場合というのは、どのようなものが考えられるでしょう。

さっそく、具体例を交えて見ていきましょう。

1、クライエント自身のなかに葛藤がある場合
これにかかる例は、「秘密の開示にかかる葛藤」という場面があります。
例えば、排泄や認知症に関すること、病名や家族関係の葛藤などの、特に秘匿性の高い情報について、第三者に公開することにためらいがある場合などが、それにあたります。
しかし、例えばターミナル期にあるとか、現病歴に特別の配慮を要する疾患である、というような場合においては、クライエントの「知られたくない」という権利は、「最優先事項」とは必ずしもならない。
こうした場面においては、その重要度の優先順位が、他項と比較検討されることになる、という訳です。

2、他者の権利との間に葛藤がある場合
これは分かりやすいですね。
秘密にすることで、他の人が被害を被るような場合です。
そういう時には、本人の秘密保持の権利は、他者の利害と比較されることになります。

3、ソーシャルワーカーの権利との間に葛藤がある場合
これは、基本的には前述の2項と同様の意味合いになります。
ワーカーも、クライエントにとっての第三者、という部分に於いては共通ですから。
これをバイステックは「稀なケース」と記しています。
しかし、高度にプライバシーに関わる権利が確立された現代社会においては、これを稀な問題とするには違和感がありますね。

4、社会福祉機関との間に葛藤がある場合
何らかの援助を利用する、ということは、情報をある程度共有する、ということでもあります。
必要以外の情報をやり取りすべきでないとは言いつつも、何をもって必要と不必要を判断するのか、という問題は、常に付きまといます。
社会福祉機関の機能にも左右されますが、少なくとも介護領域に於いては、その必要とする情報の範囲は「極めて広い」ということになる。
それは、介護が生活全般に関わる問題である、ということと無関係ではありません。

5、社会全体との間に葛藤がある場合
言ってみれば、この点に秘密保持の限界を集約できると考えます。
秘密保持は、いつでも第三者の利害関係とのバランス調整が必要となる。
社会全体に於ける利害とは?利益とは?
そうした全体性の観点から捉えるべき葛藤であろうかと思います。

全体を通してみても、「他者との葛藤」をいかに解決してきたか、という所に着目する必要があるでしょうね。
そして、結局はクライエントに納得して頂けないもの、というのを強制することもできない。
こうしたウエットな部分にこそ、大きな勉強があるように思えましたね。

ああ、もう知らぬまに時間が来ていたようです。
続きは、又次回。
posted by メタマネ佐藤 at 23:58| Comment(0) | バイステック

2012年08月27日

連載「バイステック」〜秘密保持その2〜

さて、バイステックの連載記事、秘密保持の第2回目です。

今日はまず、クライエントの「秘密」と「個人情報」の違いについて。

クライエントの「秘密」とは、必ずしも法の定めるところの「個人情報」にとどまりません。

法律で見る個人情報とは。
「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述などにより、特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができるものを含む)をいう」となっています。

つまり、法の定める個人情報には、亡くなられた方のものは含まれないわけですが。
だからといって、故人の情報をみだりに公開することは、倫理的に見ると明らかにNGですね。

バイステックの言う秘密保持は、“信頼関係を醸成する”という観点に立っていることを踏まえると、「法的にどうか」ということよりも、むしろ「倫理的にどうか」という点について、より重きを置いて確認する必要があるだろうと思います。

この倫理的義務についてバイステックは、@自然法的秘密、A秘密保持を約束した上で伝えられた秘密、B打ち明ける相手に扱いを一任した秘密、に分けて捉えることを述べています。

では、それぞれの違いについて見てみましょう。

まず、自然法的秘密。
これは、他者に知られると、その人の名誉が著しく毀損されたり、傷つけられたりするような情報を言います。
それが例え真実の情報であったとしても、それによって評価を下げられるような恐れのある、個人的な秘密。
つまり、個人の評価を、秘密の暴露によって、不当に侵害してはならない、ということを意味します。

続いて、秘密保持を約束した上で伝えられた秘密の情報。
これは、読んだままですね。
要するに、「誰にも言わないでよ」という前提に語られた秘密、という事を意味します。
こうした条件付きの秘密は、最大限の配慮を受けるべきですが、例えば社会的な秩序や、他社との利害関係に影響を及ぼす場合などに於いては、必ずしも絶対的な秘密保持の対象とはなり得ません。

最後の、打ち明ける相手に扱いを一任した秘密。
これは「どうするかはあなたに任せます」という条件付きの秘密になります。
こうした秘密の情報がもたらされるということは、一定の信頼関係が前提となった上に成り立っている、と考えることができます。

とはいえ、これは多くの機関で見受けられることですが、クライエントは明らかに情報弱者であり、結局は「身を委ねるしかない」という大きな不安を前提として、“秘密を打ち明けている”ということを、私たちは認識すべきでしょう。

でも、実際にはどうでしょう?

なかなか難しい場合が多いんじゃないか、と思うんですけどね……。
posted by メタマネ佐藤 at 23:29| Comment(0) | バイステック

2012年08月20日

連載「バイステック」〜秘密保持 その1〜

バイステックの原則について、ひとつずつ見てきた連載シリーズも、いよいよ佳境。
7つの原則の7番目になります。

最後の原則は、秘密保持。
クライエントの秘密を守ることによって、信頼関係を醸成するという、原則です。

では、バイステックの秘密保持の定義について、見てみましょう。

秘密を保持して信頼感を醸成するとは、クライエントが専門的援助関係のなかで打ち明ける秘密の情報を、ケースワーカーがきちんと保全することである。
そのような秘密保持は、クライエントの基本的権利にもとづくものである。
つまりそれは、ケースワーカーの倫理的な義務でもあり、ケースワークサービスの効果を高める上で不可欠な要素でもある。
しかし、クライエントのもつこの権利は、必ずしも絶対的なものではない。
なお、クライエントの秘密は同じ社会福祉機関や他機関の他の専門家にもしばしば共有されることがある。
しかし、この場合でも、秘密を保持する義務はこれらすべての専門家を拘束するものである。

となっています。

要約すれば、「プライバシーを守る」という基本的な約束は、利用者の権利に基づくものであり、その保持は専門家の倫理である、というところですね。

しかし、この運用は大変難しい。
バイステックが生きていた時代と比較すると、こうした「秘密保持」に対するクライエントの要望は、どんどん具体化、多様化しています。

我が国に於いても、平成15年には個人情報保護法が制定され、具体的に個人情報の内容と、取り扱いのガイドラインが示されていますが。

しかし実際の運用に於いては、ケースバイケースのことがほとんどです。
そうすると私たちには、個人情報保護に対する知識と、運用のバランス感覚が求められる訳です。

これがなかなかしんどい訳ですね。

まぁ。

これから少しずつ、秘密保持についての話をしていきますので、乞うご期待。
posted by メタマネ佐藤 at 23:00| Comment(0) | バイステック

2012年08月13日

連載「バイステック」〜自己決定 その4〜

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今週も、先週に引き続き、自己決定について見ていきます。
そして、今回が自己決定に関する「まとめ」。

自己決定に関わる基本的な権利を言い換えれば。
「自分のことは自分で決める。どこでどんな生き方をしても自由なんだ!」という、自由権がベースになります。

しかし、なんでも「自由」が許されるかと言えば、そんなことはない訳で。
「他の人の迷惑にならないようにする」とか。
「まだ幼いので、そこまでは認められない」とか。
様々な配慮からなる「制限」を受けることになりますね。

大雑把な言い方ではありますが、少なくとも「自己決定の原則」だからとはいえ、なんでも自己決定“ではない”、ということです。

と、すれば。

相談援助者は、クライエントのおかれた「自己決定できる範囲」を、正確に見積もりできないといけない。
なんでも「ご利用者様が決めたことですから」といっていたのでは、仕事の責任も負っていない、ということになりますね。

そこで本日は、自己決定に於ける制限について、いくつかの視点から見ましょう。

1、積極的かつ建設的決定を下すクライエントの能力から生じる制限。
基本的に、すべてのクライエントは自己決定できる能力を持っている、という前提に立つことが、私たちには大切ですが。
短期記憶障害や失見当識が著しい、認知症高齢者の場合などでは、「今後の生活をどのようにしていきたいか」というような、将来予測に基づいた、建設的な自己決定を行うことは、おそらく無理でしょう。
しかし、「嬉しい」とか「今は嫌だ」というような決定はできる、というような場合。
これは、当事者の“決定能力”という点から見て、クライエントの自己決定は制限を受けている、ということになるわけです。

2、市民法から受ける制限
本書では「市民法」となっていましたが、本文を読む限りでは広く法令、制度全般を指しているようです。
私たちは法治国家にいるわけですから、当然のことながら法令を順守していく義務があるわけで。
それに反するような自己決定はできない、ということです。

3、道徳法から受ける制限
前項の制限が、法令といういわゆる「成文法の制限」であるならば、こちらは道徳という「不文法の制限」ですね。
いわゆる倫理とか、モラルとか。
法律違反はおかしていなくても。
“人として、それはいかがなものか”というような自己決定は、容認される対象とはなりません。
しかし、それは相手を「自分の思う物差し」で図ることになる、危険性もはらんでいる。
なのでこれは、第5原則「非審判的態度」の項と照らして、注意しておく必要があります。

4、福祉機関の機能から受ける制限
私たち支援者も、何らかの機関に属しており。
その中で行うべき「支援の範囲」は、職域の制限をうけています。
ですから、その専門分野を無視して越えていくことは、あってはならない訳です。
しかし、「それは自分の仕事ではない」とバッサリいくのも、また間違いで。
関連する業種の、違う専門機関に「紹介する」ことが必要になるわけです。
また、「利用者が多くて対応しきれない」なんていうのも制限ですね。

つまり。

クライエントの自己決定は、「能力」「法律」「道徳」「機関」の4つの視点から制約を受ける、ということです。
色々と制約はあれども、こうして考え方を整理してみると、それでも自己決定できる範囲と言うのは、実はなかなか広い。

また、制限となってはいますが、私たちは、できることならばクライエントの決定をできるだけ実現に近づける、という視点から関わることが求められています。

もっと平たく言いましょう。

「私たちはクライエントの味方でなくてはならない」。

自己決定を尊重するということは、その人の意思、尊厳を守るということと同義です。
その為には、その制限の及ぶ範疇についてもよく理解しておかないと、とんでもないことになる。

だけど、それでもそうした決定に至る背景を尊重する姿勢。
それに気づけるかどうか、というのが大切な資質だろうと思うんですよね。
posted by メタマネ佐藤 at 22:28| Comment(0) | バイステック

2012年08月06日

連載「バイステック」〜自己決定 その3〜

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本日も、バイステックの原則に於ける「自己決定」の原則。
先週からの続きの部分。

本日のテーマは。

クライエントの自己決定を支援する、ケースワーカーの果たすべき役割がまずひとつ。

二つ目は、「こんなんアカンよ!」というのを何パターンか提示。

いずれも、分かりやすいようにケアマネの立場で例示を付け足してみました。

では。

まず一つ目の、「自己決定を支援するワーカーの役割」について。

1、クライエントが彼の問題やニードを明確に、そして見通しをもって見ることができるように援助すること。
例)本人や家族が混乱している場合に、その話を傾聴して、内容を整理していく。焦点化によって考えやすくなったり、問題と向き合えるようになる。

2、クライエントが地域社会に存在する適切な資源を知っているように援助すること。
例)サービスの利用に際して、利用者が自分の意思で選択できるように、複数の選択肢を用意する。この時に、押し付けにならないように気を付ける。

3、休止状態にあるクライエント自身のもつ資源を活性化する刺激を導入すること。
例)「もうできないだろう」と思いこんでいることに対して、「こうすればできる」という、実現可能な目標や方法を提示する。

4、援助関係を、クライエントが成長し、問題を克服するための環境とすること。
例)利用者との信頼を深めて、「あなたが言うのなら、できるかもしれない」と前向きな気持ちを引き出し、さらに深化させていく。

とりあえず、バイステックが言っている「イケてる自己決定の支援」とは、こんな感じです。

さて、では続いて「こんなワーカーは○○だ!」というイケてないパターンを見てみましょう。
これも例示はケアマネで。

1、問題を解決する主な責任をワーカーがとり、クライエントに従属的役割をとらせること。
例)“ケアマネ様”の自己中プラン。利用者にも命令する。

2、クライエントからの求めがあるなしにかかわらず、クライエントに起こるすべての出来事の社会的ないし情緒面での動きについて細かすぎる調査を行うこと。
例)とにかく細かい。相手の気持ちを考えず、なんでも聞き出して管理しようとする。ある意味親切すぎる、依存させるケアマネ。

3、直接・間接にクライエントを操作・操縦すること。
例)利用者ではなくケアマネが、理屈や根回しでサービス利用や中止を決める。それも勝手に。

4)コントロールするような仕方で説得する。
例)流れるような見事な説明で、有無を言わさない。「これこれこのような理由で、あなたはデイサービスを使う必要があります」的な。

とりあえずは、こんなところ。

自己決定の支援においてワーカーは、利用者の自己決定がもたらす利益や不利益についての分析、裏付けされる知識、科学性、心の動きに対する感受性、洞察力といった様々な資質が求められますが……。
その“質”については「これだけやっとりゃ、OK」とはならない。
常に内省的に、決定の質を高められるように意識しなくてはならない。

逆から言えば、そういう当事者の自己決定を軽視するような態度が一番イカン!

でも、そういうことって、よくあるよね……。
認知症の人や、精神疾患のある人、ひょっとしたら「要介護者」というラベリングが、“自己決定”の本来の意味を見失わせてんじゃないか、とも思う。

しかし、介護保険で言えば「あなたに私のプランを立ててもらおう」という意思。
その、最初の自己決定なくしては、ケアマネは“存在しない”のです。

だからこそ我々は、ご利用者様の代弁者、介護に於ける代理人として、忠実でなくてはならない。
そしてそれは、ヒューマンサービスに関わる全ての人が、共有すべき認識でもあると思うのです。

しかし、この自己決定というのは奥が深い。

次回、もう少しだけ掘り下げて、この原則について締め括りたいと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 22:57| Comment(2) | バイステック

2012年07月30日

連載「バイステック」〜自己決定 その2〜

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さて、バイステックの原則の6番目、自己決定について。
前回は、自己決定ということについて、精神的自立の側面から見ていきました。
…といってもこれは、“自己決定”のもつ意味について、より深く捉えて頂くためのきっかけとして頂ければよいか、と思うところでして。

実は、バイステックの自己決定に対する考察は、さらに深いところに切り込んでいるんです。

それは、哲学であり、民主主義の理念でもあり。
「自由とは何か」という、かの国において最も尊重されるべき、根元的な意思と責任について触れています。

ともすれば、福祉とは。
富める者と持たざる者、施す者と施される者という強弱の二元論で語られる場合がある。

決定権限は、必ずしも当事者の側になく、“施す”強者によってもたらされることもあった。
それは、当時の社会の世相を色濃く反映したものでもあった。

例えば、クライエントの意思が援助過程に介入することは、円滑な援助の進行を複雑化させ、多大な労力を払うことになる可能性が高い。
だからもっと“識っているもの”が、率先して行く先を示す道先案内人にならねばならない……といった具合に。

しかし、そうした問題は、ケースワークの発展と共に次第に洗練され、自由に関する多くの問題が明らかにされ、具体的に検討されるようになっていく。

主には、クライエントの権利は、援助過程への“参加”レベルに留まるものではない。
もっと主体的な、決定にともなう責任までも、クライエントの決定と同意によって、クライエント主導で進められるようにすべきである。

クライエントが自分で援助計画を立てることは、彼自身の成熟の助けにもなり、彼自身が自ら成熟度を図る機会にもなる。
そうした自己効力感を引き出すことは、クライエントの持つ根元的な力を育てるだけでなく、ワーカーとの信頼関係を醸成する上でも重要である。

……といった具合ですね。

ここで、バイステックの自己決定の定義について、そのまま引用します。


クライエントの自己決定を促して尊重するという原則は、ケースワーカーが、クライエントの自ら選択し決定する自由と権利そしてニードを、具体的に認識することである。
また、ケースワーカーはこの権利を尊重し、そのニードを認めるために、クライエントが利用することのできる適切な資源を地域社会や彼自身の中に発見して活用するよう援助する責務を持っている。
さらにケースワーカーは、クライエントが彼自身の潜在的な自己決定能力を自ら活性化するように刺激し、援助する責務も持っている。
しかし、自己決定というクライエントの権利は、クライエントの積極的かつ建設的決定を行う能力の程度によって、また市民法、道徳法によって、さらに社会福祉機関の機能によって、制限を加えられることがある。


となっています。

ちょっと分かりにくいので、ガリッと噛み砕いてみましょう。
要するに、こんな感じ。

「人は誰しも自由だ。
自由には、責任も伴う。
自己決定を大事にするということは、その人の権利を大事にするということでもある訳だ。
私たちは、そのように自己決定の持つ意味を理解しなくてはいけない。
私たちは、彼らが迷ったときに道しるべになるであろう、いくつかの答えを準備しておくべきだろう。
そして、「自分で決める」という判断力を育てるように、側面的に関わることも大切だ。
だからと言って、「なんでも自由です」というわけにもいかない。
その人の能力や、まわりの環境、制度や私たち自身の役割によっても、自己決定できることの範囲は、変わってくるだろう。」

って感じですか。

つまり、自己決定というのは、「自由に自分の人生を生きる」という、当たり前の権利を保障するものでもある訳です。

だから、重い。
とても重要なのです。

そんなわけで、この原則の連載はもうちょっと続く。
次回は「ワーカーのこんな関わりは○○だ」という、鉄拳的なノリでお伝えしてみようかと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 23:03| Comment(0) | バイステック

2012年07月23日

連載「バイステック」〜自己決定の原則その1〜

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コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)
とは、近代哲学の父デカルト。
7原則の6番目、自己決定とはまさにこのような原則であろうと私は捉えています。

「自分の人生や生き方は、自分で考えて決めたい。」
言ってしまえば自己決定とは、そのような概念に集約することができるでしょう。

しかしながらクライエントの尊厳に関わる原則として、その重要性を誰もが認識しながらも、それを権利として保持していくことは、難しい場合が多い、とも言える。

簡単な例を上げれば、施設入所の場面などでしょう。
「施設に入りたくない」と本人がいったとして、それがどこまで聞き入れられるでしょう?
それで半ば強引に入所となったとして、その人の自己決定権は、守られていると言えるのでしょうか?

結局のところ、自己決定には制限や制約が伴うのです。
しかし、その話はまた後日するとして。

まず今日は、自己決定の持つ意味について考えます。

私が自己決定の概念を考えるとき、いつも頭に浮かぶのはIL運動の理念です。

1960年代のアメリカで、一人の重度障害者が大学に通うために、様々な人の手を借りながらも独り暮らしを始めることにした。

それは、身辺のことには介護者の支援を受けながらも、精神的には解放された生活であった。
施設暮らしと比較して、いかに不便であろうとも、彼はそこで自立して、生活することを“選んだ”。
このことが大きな意味を持ち、やがて世界に広がるムーブメントになっていくのです。

これ以前の自立観とは、ADLに代表される身辺動作の自立度であったり、経済的な尺度であったりした訳です。
しかし、このIL運動においては、障害者自らが福祉の庇護を離れ、自立した生活を選ぶ、という自己決定こそがミソであった。

つまりは、精神的な自立。
生活主体者としての心構えそのものですね。

その根本にあるのが、「自分の生き方は自分で決める」という自己決定の概念にある、と私たちは認識するべきだと思うのです。

まずは、自己決定の持つ重要性についての、私の持論を述べさせていただきました。
次週は、バイステックの定義から、引き続き自己決定について考えてみたいと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 23:07| Comment(0) | バイステック

2012年07月16日

連載「バイステック」〜非審判的態度〜

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今日は海の日。
とんでもなく晴れ渡っている“晴れの国 岡山”。
暑いなんてもんではございません。
すでに“痛い”というほどのレベルでした。

また、海の日は同時に、「ソーシャルワーカーディ」でもあるんです。
どうぞ以後、お見知りおきくださいませ。

さて、そんな今日。
連載「バイステック」も第5原則に突入です。
いよいよ「佳境」といったところでしょうか。

第5原則は「非審判的態度」。
これは読んで字の如く。

「自分の価値観で、クライエントのことを一方的に非難しない」ということですね。

言ってみれば、これがすべて。
だが、「言うは易し、行うは難し」とは、まさにこのこと。
7原則の中でも、もっとも実践の難しい原則と言えるでしょう。

早速バイステックの定義を見てみましょう。


クライエントを一方的に非難しない態度は、ケースワークにおける援助関係を形成する上で必要なひとつの態度である。
この態度は、以下のいくつかの確信に基づいている。
すなわち、ケースワーカーは、クライエントに非があるのかないのか、あるいはクライエントが持っている問題やニーズに対して、クライエントにどのくらい責任があるのかなどを判断すべきではない。
しかし、我々はクライエントの態度や行動を、あるいは彼が持っている判断基準を、多面的に評価する必要はある。
また、クライエントを一方的に非難しない態度には、ワーカーが内面で考えたり、感じたりしていることが反映され、それらはクライエントに自然と伝わるものである。


この定義について、大枠での理解は先に述べた通りで良いとして。
重要なポイントが2つあると、僕は思います。

まず一つ目は、「我々は、クライエントの態度や行動、判断基準を多面的に評価する必要はある」としているところ。
“非審判的態度”という言葉を意識しすぎて、“評価する”ことまで置き去りにするな、ということですね。

例えば、自分の家族を「殺したいほど憎い」という人がいたとして。
私たちが相談にあたるとき、そのクライエントの訴えについて「それは良くない」とか、一面的に判断するのは間違い。
だけど、「なぜそう思うのか」という所は、しっかり見なきゃいけないわけです。
生活歴やイベント、性格や判断基準などを多面的に見て、その人を評価していかなくてはならない、ということですね。

そして、2つ目のポイント。
「ワーカーの内面的態度は、相手に伝わる」というところ。

…そうなんだよね、本当にその通り。

私たちだって人間ですから、いかにご利用者さんといえども、あんまりなことを言われたり、されたりすると、「イラッ」とか「ムカッ」となります。
あるいは自分の価値観に照らして、あまりにかけ離れている人に対して、「嫌」とか「面倒くさい」というネガティブな発想を持ってしまったり。
そんな風にクライエントを「評価」してしまうと、その場の対応だけでも相当な苦痛になったりもします。

こうした態度については、接近と逃避の二択で見ていくと分かりやすいでしょう。
先の例は、明らかに逃避の態度。
これに対して「非審判的態度」というのは、相手を「否定する」のではなく「解釈する」態度であるため、「理解しよう」と接近の態度になって現れてくるはずなのです。
そうするとクライエントは、「ああ、この人は理解してくれようとしているんだな」と感じることができる。
この実感が、信頼関係を形成する上で大切なんですね。

だから、どのような「反応」をしたかではなく、どのような「態度」でクライエントに向き合ったか。
その点を問うているのです。

すなわち非審判的態度というのは、自らの価値判断基準に対する洞察と、自らの普段からの接し方、態度に至るまで、きちんと自己評価できるようにならないといけない訳です。

まぁ、そこまで考えると、完璧にできる人はおらんわな。
誰も皆、いまだ道半ば。
そう考えた方が良いんじゃないかな、と思ったりします。
posted by メタマネ佐藤 at 21:40| Comment(0) | バイステック

2012年07月09日

連載「バイステック」〜受容 その3〜

さて、本日も第4原則の受容について考えてみましょう。

前回の2回目では、バイステックがどのように受容の原則を定義しているか、というところについて見ていきました。

その中で、受容によって「クライエントは安全感を確保し、自分を見つめることができるようになる」という部分に注目すべきである、という点までが先週のお話。
この部分の解釈はぶらさずに、今日はまた違った視点から受容の意味について見ていきます。

それは、カールロジャースの唱えた、「パーソンセンタードアプローチ(クライエント中心療法)」の視点から。

ロジャースの名前は、あらゆる場所で出てきますので、ご存じのかたも多いでしょうね。
彼以前の、いわゆるカウンセリングの主流は、解釈→暗示→忠告といった、診断的、治療的なアプローチでした。
しかしロジャースは、この方法ではクライエントに不健康な依存を生じ、問題が発生する度にセラピーが必要になるため、効果的な援助方法ではない、と断じました。

ロジャースによると、「元来、人には自力で心の健康を回復させ、成長させようとする力がある」という。
パーソンセンタードアプローチでは、治療者はあまり口を挟まず、じっくりと傾聴して、その経験を理解しようと努める。
その中で、クライエントとの間にラポール(信頼関係)を形成し、安心感を得てクライエントはありのままの現実に目を向けることができるようになる。
これまでとは、ものごとの捉え方(認知)が変わり、自律的に快方に向かうという。

まぁ、ザックリいうとこんな感じでしょうか。

ロジャース曰く、心の不適応状態は、自己認知の歪みによって発生する。
つまり、こうありたい自分(理想自己)と、ありのままの自分(現実自己)のズレが、クライエントを苦しめるという訳ですね。
それを解決するには、これまで認知されなかった、あるいは歪曲されていた現実自己を、クライエント自身が受容すること。
援助者は、「クライエントが自分と向き合えるように、よき理解者となる」ということなのです。

そして私は、この視点が、先のバイステックの言わんとした受容の意味と、ピッタリ重なると感じるのです。

最後に、ロジャースのいう「援助者に必要とされる傾聴の姿勢」について述べます。
それは、自己一致(純粋性)、無条件の肯定的配慮、共感的理解の3つ。

自己一致…自分の気持ちに嘘をつかず、あるがままにいること。
無条件の肯定的配慮…良いことも悪いことも、クライエントから伝わって来ることは肯定的に受け止めること。
共感的理解…クライエントが感じている感情を、自分のことのように共感的に、理解しようとして聴くこと。

こうした態度によって、クライエントは答えを教わるのではなく、自分で答えを見つけられるようになる。
それこそが、受容の本質ではなかろうか、と私は感じるわけです。

安全感→何でも話せる信頼関係(ラポール)→現実自己の受容。
そのような効果を狙って引き出せる援助者でありたいものですね(苦笑)。
posted by メタマネ佐藤 at 22:45| Comment(0) | バイステック

2012年07月02日

連載「バイステック」〜受容 その2〜

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さて、月曜日はひきつづき連載記事。
バイステックの7原則の第四原則「受容」について触れます。

前回も書きましたが、この「受容」の概念を「コレだ!」と示すことはなかなか難しい。
とりあえず、「クライエントの想いや存在を尊重して、受け止める過程」という風に、私なりに、簡略に定義づけさせて頂きましたね。

今回は、バイステックの論に戻り、「受容」の認識を深めていきましょう。

まず彼は、様々な文献を引用した上で、こう述べています。


クライエントを受け止める行為とは、
たとえば援助を目的としてクライエントを理解すること、
クライエントに敬意を払うこと、
また愛すること、
把握すること、
あるいは認識すること、
援助すること、
さらに迎えることなどである。


……う〜〜む、広い。広すぎる。
さらに、こう続きます。


すなわち、
@感知することーーまず、ケースワーカーは、自分が受け止めつつあるものを客観的に見つめなければならない。
A援助を目的として理解することーー次にケースワーカーは、それぞれの事例に於いて、いかなる原因がクライエントに影響を及ぼしているのか、またその原因がクライエントにとってどのような意味を持っているのか、さらにケースワークの目標をどこにおくべきかなどの観点から、クライエントを受け止めなければならない。
Bさらにケースワーカーは、クライエントの持つ現実を多様な角度から適切に“認識”すべきである。


つまり、@見つめて、A理解して、B認識する、という過程。
これを「受容の過程」と言っている訳ですね。

ずいぶん仰々しいように感じられるかもしれませんが、実はクライエントを受け止める行為とは、一歩踏み誤ると大変な事態を招きかねないものです。
たとえば、逸脱した態度や主義主張、あるいは行動を示すクライエントをありのままに受け止めるということは、決してその逸脱に同調し、許容することではありません。
そうした行動に際しては、それを彼らの現実の一部として認識し、「理解する」ということが必要なのです。

つまり、受け止めることと、許容することは、ノットイコール。

そうした点を踏まえて、バイステックは受容をこの様に定義つけました。


援助におけるひとつの原則である、クライエントを受け止めるという態度ないし行動は、ケースワーカーが、クライエントの人間としての尊厳と価値を尊重しながら、彼の健康さと弱さ、また好感をもてる態度ともてない態度、肯定的感情と否定的感情、あるいは建設的な態度および行動と破壊的な態度および行動などを含め、クライエントを現在のありのままの姿で感知し、クライエントの全体に関わることである。

しかし、それはクライエントの逸脱した態度や行動を許容あるいは容認することではない。
つまり、受け止めるべき対象は、「好ましいもの」(the good)などの価値ではなく、「真なるもの」(the real) であり、ありのままの現実である。

受け止めるという原則の目的は、援助の遂行を助けることである。
つまりこの原則は、ケースワーカーがクライエントをありのままの姿で理解し、援助の効果を高め、さらにクライエントが不健康な防衛から自由になるのを助けるものである。
このような援助を通じて、クライエントは安全感を確保しはじめ、彼自身を表現したり、自ら自分のありのままの姿を見つめたりできるようになる。
また、いっそう現実に即したやり方で、彼の問題や彼自身に対処することができるようになる。


前半の2つの段落は、これまでに解説した通りですね。
重要なのは3段落目のこの部分。
“この原則は、クライエントが不健康な防衛から自由になるのを助ける”という部分。

“不健康な防衛”というのは、フロイトも言うところの、いわゆる“防衛規制”のことですね。
ワーカーの受容的態度によって安全感を得て、こうした“カタイ態度”はほぐれるんですよ、ということでしょう。
多くの場合、僕たちはややこしいクライエントを前にすると、自分達の方が硬直して、逆を行ってしまいがちなんですよね。

そして、クライエント自身が、ありのままの自分を見つめて、問題解決に向けて、より現実的な対応策をとることができるようになる。
実は、これこそがバイステックの7原則の中でも、最も重要な部分。

もったいつける訳ではないのですが、内容がさらに一段深くなりますので、もう少し練り込んで、次回またお届けするということにさせて頂きましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 22:34| Comment(2) | バイステック

2012年06月25日

連載「バイステック」〜受容その1〜

月曜日は連載記事の日、と勝手に決めてお届けしております。
先日から、取り上げている「バイステックの7原則」も4つ目。
「受容」について触れていくのですが…。

実は受容について書くの、結構難しいんですよね。
たぶん、7原則の中でも一番書きにくい項目じゃないか、と思います。
これについては、まず「受容」をどのように概念化するのか、というところに着目する必要があるだろうと思います。

「受容の原則」は、もともとの英文では“”。
これを「受け容れる」とした和訳が、果たして本当にこれで正しかったのか、という議論があります。
「受け容れる」という言葉には、あらゆるものごとを“そのまま受け容れる”というような、受動的態度とも捉えられるからです。

確かに、クライエントの立場から見れば、「自分のことを、言うことだけでなく、存在までまるごと受け容れて欲しい」というようなデマンズはありえます。
しかし、援助者としての立場から見ると、“ありのままに、そのまま受け容れる”という態度はデマンズ迎合であり、適切とは言いがたいのではないか。
そのように考えると、私たちのとるべき態度とは、クライエントを「あるがままに受け止める」ということではなかろうか、ということができるでしょう。
ある意味ワーカーは、クライエントが「〜という気持ちであること」を理解(解釈)したという、一線を引いた態度となります。

バイステックも、この“受容”を原則に取り上げる際に、理論の前に実践が来ている、という点に触れています。
直感的に、情緒的に実践されている“受容”について、これを原則として定義していくに際しては、「すでにこれは原則と見るべきである」という言い方で、やや消極的。

つまり“受容”は、“援助”という過程を通じて、それぞれのワーカーの“やり方”で、すでに実践されているものであり、技術というよりは経験的に培われていくものであるだけに、原則として定義付けることは難しい、と言っているのだと私は解釈しています。

しかし、援助関係にあって中心的な要素とも言えるラポール形成の、さらに核にあたるのがこの“受容”。
それがワーカーの経験則に立っているとしたら、それは専門職でもなんでもない訳で、ただの「話しやすい人」で良いことになってしまう。

要はこういうことだと思います。

受容が、経験則に立って行われている限り、私たちは専門職たりえない。
しかし、それは概念化して定義することが難しい。
敢えて言えば「クライエント想いや存在を尊重して、受け止める過程」ということでしょう。
ただし、これはメタマネ解釈です。

今回は、受容を概念化するところまでにしておきます。
「それは違うよ」というところや、「それはこういう意味じゃないの?」という意見があれば、是非ご指摘ください。

次回はこの受容について、もうすこし掘り下げて考えたいと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 21:45| Comment(2) | バイステック

2012年06月18日

連載「バイステック」〜統制された情緒的関与〜

さて、本日は7原則の3つ目、「統制された情緒的関与」に入ります。

これは平たく言えば、「ワーカーは自分の感情をよく吟味して関わりなさい」ということですね。

バイステックはこの原則について次のように述べています。

ケースワーカーが自分の感情を自覚して吟味するとは、まずはクライエントに対する感受性を持ち、感情を理解することである。
そして、ケースワーカーが援助という目的を意識しながら、クライエントの感情に、適切な形で反応することである。

つまりこれは、「感受性」「理解」「反応」の3つの要素からなる、と言っているのですね。

さて。

感受性で重要なのは、特にクライエントの感情に対する感度。
クライエントの感情表出については、前項で書きましたね。

感情の表現は言語のみによらず。
表情や態度、声の大きさや話し方などによって、より顕著に現れます。
丁寧な言葉使いであっても、そうであればこその静かな怒りの表現や、悲しみの表現ということもあり得る。
文脈や、会話の流れ、面談や支援の経過なども総合的に見ながらアンテナを働かせます。

そして得られた情報を、関連性のなかで解釈する。
面接を繰り返すほどに、クライエントの感情に対する深い繋がりを意識するようにします。
理解を深める為には、ストレスに対する防衛規制を学んだり、生活歴から聴取される発達段階における課題の整理、人間の行動原理等について、学びを深めておくことが役立ちます。
私のつたない支援経験から言えば、アイデンティティ形成に関する洞察を深めていくことが、ご利用者様に対する理解を深める近道であるように思います。
平たく言えば、本人の人格形成に影響を深く及ぼしているのは何か、注意深く観察する、ということです。

そして、反応する。
この部分こそ、本項のもっとも重要な部分。

ケースワーカーが、クライエントの感情にいかに反応するかは、援助関係におけるもっとも重要な心理的要素であり、もっとも難しい部分である、とバイステックも述べています。
この点については、私も全く同感。

適切な反応を返す、と一言に言っても。
何をもって適切とするかは千差万別で答えがない。
こちらとしては、ベストというよりよりベターな反応をしたつもりでいたとしても。
相手がそう受け取ってくれるとは限らない。
もともと反応そのものを求めていない場合もある。
「ただ聞いてもらえればいい、深く立ち入らないで欲しい」というような人もいらっしゃるわけです。

つまり。

クライエントの感情に参加していく時には、自分の感情をよく吟味しておきなさい、ということで。
ただし、「正解はコレ」というものがありませんから、そのつもりで、しっかり感受性を働かせなさいよ、と。

ただ、それではあまりに漠然としていますよね。

そこで、私は次のようなことをイメージして、面接に臨んでいます。

反応は、「真摯さ」が相手に伝わるようにしよう、ということ。
その点において、精度を高めることはできると思っています。

それは。

クライエントにいかに真摯に向き合うか、自分をごまかさないように向き合うか、ということに他ならないからです。
その為に、自己を内観していく必要があると。

果たして、それができているのかどうか?

うむむ、修行が足りんぞな……。
posted by メタマネ佐藤 at 23:06| Comment(0) | バイステック

2012年06月11日

連載「バイステック」〜意図的な感情表出その4〜

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これまでの「意図的な感情表出」の、おさらい。

第1週は、「意図的な感情表出とはなにか」について。
第2週は、「援助という意図をもって、クライエントの感情表現を助ける」ことについて。
第3週は、「援助という意図をもって、クライエントの感情表現を制限する」ことについて取り上げました。

今週は、まとめも含めて「クライエントの感情表現を促す条件」を見ていきます。

まずは、ワーカーの役割や機能の確認、環境設定、雰囲気作りに関することから。
バイステックは、

「雰囲気作り」を行う鍵は、ワーカーの自己理解であったり、クライエントの潜在能力や、目で確かめることのできない援助関係の質などが中心になる。

と言っています。
平たく言えば、良好な関係性を作ることが、一番の「感情を表に出しやすい条件」だと言っている訳です。

この点を踏まえた上で、いくつかの雰囲気作りの方法を見ていきましょう。

1、ワーカーがリラックスしていること。
多忙なときであっても、緊張を和らげられるような方法を身に付けておく。
あるいは、しっかりタイムマネジメントを行っておくことも必要になる。
また、机の上を整理しておくことは、心の平静を保つ上で重要である。

2、落ち着いて話ができるような環境設定。
机や椅子の配置や、座り心地、絵画や植物の配置を工夫する。
クライエントの席から、窓の外が見えるように配置を工夫する方が落ち着いて話ができる。
部屋全体の配色は、暖色系か淡い灰色などが落ち着いて穏やかに話を進められる。
ワーカーの視線を正面から受けなくてもすむような、視線の「逃げ場所」を準備する。

3、ワーカーの好意的な態度を感じ取れるようにすること。
広い意味での面接技法と考えられる。
ワーカーの関心、誠意、理解力、客観的な判断力などによって、クライエントは安心して感情を表に出すことができるようになる。
また、身なりや服装によって、こうした好意的な態度を演出することも可能である。
また、礼儀正しい態度は、クライエントを一個人として尊重する意思を伝えるものである。

4、信頼関係ができていること。
具体的な形に現れずとも、援助関係に最も大きな影響を与えるのが、信頼関係の密度である。
感情を自由に表現することを「許される」関係性の有無は、一朝一夕に出来上がるものではない。
クライエントの感情表現は、問題を解決するための原動力そのものであると言ってよい。
クライエントからの敵意や否定的感情をしっかり受け止める態度は、クライエント自身が自分を一人の個人として、価値ある人間として感じられるようになる基礎である。
この体験が、クライエント自ら変化を為し遂げ、問題を解決するための最初の動機となる。

うーん、なかなか難しい。
他にも色々とあったんですけど、うまく集約できませんでした。

クライエントのうちに秘めた感情の動き。
私たちはそれを完全に理解することなどできません。
ただ、自分が相手の方に向き合っているかどうかはわかる。
それを態度や形に現すことで、歩みよりの姿勢を打ち出すことができる。
それを、援助関係における“武器”として使いこなせるように、磨きをかけていきましょう。

……んー、なんかいまいち纏まりきらんなぁ…。
さて、次回はいよいよ7原則の3つ目、「統制された情緒的関与」を取り上げます。
お楽しみに〜。
posted by メタマネ佐藤 at 22:53| Comment(1) | バイステック

2012年06月04日

連載「バイステック」〜意図的な感情表出その3〜

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今回も、先週に引き続き「意図的な感情表出」。
本日の内容は、これまでの連載の中でも、特に重要と言える部分かもしれません。

それは、「援助という意図を持って、クライエントの感情表現を制限する」ということ。
一言でそのポイントを表すとすれば、それは「援助の目的を見失うな」ということなんです。

相談援助は、なんのための相談援助であるか。
それは、クライエントの抱える課題を明らかにしていくこと、または解決のプロセスを明らかにしていくことにある。
クライエントそのものを“治療”することが目的ではないのです。

こうした前提に立ち、「面接」が、クライエントの“治療”や“単なるうっぷんばらし”に陥らないように。
「面接の目的を達成する=課題を明らかにして解決する」という観点から、「感情表現を制限する」必要が生じるのですね。

言い方を変えれば。
相談援助者としての、自らの仕事にきっちり“線を引く”ということなのです。

「こっから先は、違う専門家に聴いてもらってください」とか。
「すみませんけど、その話はわかりません」とか。
自分の“仕事の範囲”を自覚する必要がある、という事なんです。

まず、この点を踏まえてから。

1、対応できる限界を踏まえて対応する。
対応できる限界には、二通りあります。
それは、援助者の対応能力と、時間的な制約。
クライエントの感情表出は、時に制御が難しい場合がありますし、専門的な治療を必要とするようなケースもあります。
そのような場合には、より適切な機関を紹介する、という対応が必要となるでしょう。
また、ワーカーはそのクライエント一人に対して専属で関わるわけではありません。
どのような機関に属しているかによっても、一人のクライエントに割ける労力というのは変わってくる。
相談対応はケースバイケースと言えども。
情緒的な問題に左右される、労力の不平等は、できるだけ平準化するように心掛けるべきでしょう。

2、気持ちの準備ができていない場合は、もう少し待ってから。
クライエントの中には、まだ気持ちの整理がついていない問題について、「話さなくてはいけない」と考えて、無理をしてしまう場合があります。
例えば、重い病気や障害の受容が、全くできていないのにも関わらず、予後を見据えた話を決めようとする場合など。
何事も、「適切なタイミングを見極める」ということが肝要です。
それを間違えると、クライエントに不要な罪障感を抱かせてしまったり、逆に援助者に対する不信や怒りを誘発する原因になったりもしますので、注意が必要です。

3、過度の依存心を引き出さない。
クライエントの中には、援助者との関係のなかに、自分の居場所を求めるような方もおられます。
我々は、いかにクライエントの自立を支えるか、という視点が重要ですから、不健康な依存心に対しては、ある意味で決然と対応すべきです。

4、クライエント自身が、注目を集めようとして、敵意をもってワーカーに接してくるような場合。
いわゆる“クレーマー”と呼ばれる人たちのなかには、自らの主張を押し通して、正当性を他者に認めさせることに意義を見出だしているような場合もあります。
そういう行動の意図は、注目を集めようとする不健康な行為であったり、ケースワーカーの態度を試すような行為でもあります。
我々は、そうしたクライエントの行動を理解しようと努める必要はあるが、そうした行動を励ますような行動は慎むべきと言えるでしょう。

…といった具合です。

バイステックがいう「感情の制限が必要なケース」の例はこの4つですが、他にも明らかに抑制が必要な状況というのはあります。
例えば、クライエントが必要以上に好悪感情を抱いている場合では、業務を超えた個人的な繋がりを求められるようなケースもありますし、逆に援助拒否といったケースも起こりえます。
感情の転移や逆転移にも、十分注意する必要がありますね。

なかなか難しいものですが、こうした情緒的な問題に対するバランス感覚が重要であることは、前述の通りです。

「援助という意図をもって、感情表出を制限する。」

奥深いです。
posted by メタマネ佐藤 at 22:55| Comment(0) | バイステック

2012年05月28日

連載「バイステック」〜意図的な感情表出 その2〜

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さて、本日は第2原則「意図的な感情表出」の続き。

「援助という意図をもって、クライエントの感情表現を助ける」について取り上げます。

これはどのようなことを言うのか、どんな意味があるのかを、具体例を交えて見ていきましょう。

1、クライエントの緊張を緩和して、感情を解放することにより、課題を客観視して捉えたり、建設的な行動を起こすことができるようになる。
例)くよくよしていた気持ちを表に出したら、なんだかスッキリして頑張れそうだ。

2、クライエントの人柄や、問題の捉え方を理解することができる。
クライエントが表現する感情は、深く問題を理解するための資源として解釈するべきである。
例)自分の親だから、大事にしたいとは思っている。だけど、昔から親らしいことをしてもらったと感じていないので、あまり本人と話をしたくない。→感情を肯定し、家族の葛藤、生活史への理解を深めるツールとして、この感情表出を解釈、援助に活用する。

3、傾聴の態度を示すことによって、心理的に支えられていることをクライエントが実感できる。
クライエントは、こうした態度を感じとることで、心の負担を軽くすることができる。
例)「この人は、自分の話をよく聴いてくれている。分かってくれようとしているんだなぁ」とクライエントが実感できる。

4、クライエントの否定的な感情そのものが、問題の中核である場合がある。
こうした場合には、感情を表出することで次の段階へ進めることができる場合もある。
例)「以前と比べて、主人が話をしなくなった。私には話せないようなことを影でこそこそやっているんだわ!!」と怒る妻。実際には、そうした妻の嫉妬心や疑いの態度が攻撃となり、夫を硬直させていた。

5、感情の表現をもとにして、援助関係の段階や程度を測定する。
ワーカーが敏感で、正確な診断的思考をもって援助を進めれば、クライエントはすぐにでも個人的な事柄を話すことができ、内容も情緒的な含みを持つようになる。
例)「最初は表情が暗かったが、最近は明るく色々話してくれるようになってきたなぁ。」→ワーカーは、そうした情緒的な繋がりを評価する。

“ザッ”と言うとこんな感じです。
クライエントの感情というのは、このように援助関係において様々な意味を持つものであるので、クライエントができるだけ自由に表現できるように配慮する。
これが、「援助という意図を持って感情表出を助ける」意味。

ただ、クライエントの抱える情緒的な問題というのは時に苛烈で、ワーカー自身も対処しきれないような場合もある。
そんなわけで、次回は「援助という意図を持って感情表出を制限する」ことについて見ていきましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 23:42| Comment(0) | バイステック

2012年05月21日

連載「バイステック」〜意図的な感情表出その1〜

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皆さん、今朝の金環日食は見ましたか?
写真におさめようとしたのですが、なんだかうまく行かず。
取り敢えず一番マトモだった写真をアップしておきます。

さて本日は、バイステックの連載5回目。
7原則の二つ目に入ります(ややこしいですな)。

今回取り上げる原則は、「意図的な感情表出の原則」。
なんか分かるような、分からんような感じですね。

これは要するに、「クライエントの感情表現を大切にする」ということなんです。
それも“意図的に”というのがミソですね。

私たちの生活における課題として、バイステックは「調和した情緒を維持すること」を挙げています。
ストレスの負荷は、情緒の安定を妨げるし、パーソナリティの発達を阻害したり、時には精神疾患の発現に繋がる場合もある。

当然のことではありますが、援助職は「調和のとれた情緒的生活」がクライエントにとって欠かせないものだ、という認識を持っていなくてはならない、という訳です。
バイステックの述べる基本的心理ニーズは、A. マズローの言うところの「欲求階層説」ともリンクしています。
情緒的な要件(欲求)と、社会的条件(環境)は相互作用しており、この関係調整を行うことがソーシャルワーカーの役割であり、領域であるという自覚がまずは必要でしょう。

この調整についての引用を見てみましょう。


われわれは、困難のさなかにある人々、すなわち「人生の破局の危機を情緒的に体験しているさなか」にある人々と関わるのである。
したがって、われわれは彼らがさまざまな感情を表現できるよう援助し、彼らのかかえている問題が彼らにとっていかなる意味をもっているのかを理解するよう努力すべきである。
このとき、二つのことを意識する必要がある。
ひとつは、彼らは感情を表出することによって、問題をいっそう混乱させている彼らの緊張や圧力から解放されてゆくということである。
つまり、彼らは感情を表出する経験を味わうことによって、いっそう臨機応変に、またより現実的に問題に耐え、それに取り組むことができるようになるのである。
ふたつは、われわれはクライエントが表出する感情を理解することによって、社会福祉機関を代表する者として彼らの問題を共有し、彼らを強化するために、援助関係を形成することができるということである。
Charlotte Towle,小松源助訳、「コモン・ヒューマン・ニーズ」より


平たく言えば、「クライエントの感情表出を助け、共有することは、本人の気持ちを整理することにもなるし、援助関係の形成に欠かせないものなんだ。」という認識ですね。

さらに、バイステックはこう定義します。


クライエントの感情表現を大切にするとは、クライエントが彼の感情を、とりわけ否定的感情を自由に表現したいというニードをもっていると、きちんと認識することである。
ケースワーカーは、彼らの感情表現を妨げたり、非難するのではなく、彼らの感情表現に援助という目的を持って耳を傾ける必要がある。
そして、援助を進める上で有効であると判断するときは、彼らの感情表出を積極的に刺激したり、表現を励ますことが必要である。


……どうでしょう。

なかなか「意図的な感情表出」は奥が深く、実践が難しい原則であることが伺えるのではないでしょうか。
言ってしまうと、センスが問われる領域だと思います。
「援助の」というよりは「コミュニケーションの」。
考えながら実践するというよりも、理論を知った上で感覚的に実践する、という感じでしょう。
これは個人的な捉え方ですけれども。

まず、今回はここまで。

次回以降は、「クライエントの感情表現を助ける方法」「クライエントの感情表現を制限する方法」「それに対するケースワーカーの役割」に分けて、この原則をつまびらかに見ていくこととしましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 20:20| Comment(0) | バイステック

2012年05月14日

連載「バイステック」〜個別化の原則その3〜

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月曜日は、先週に引き続き、バイステックの連載記事4回目です。

7原則のひとつ「個別化」。
前回は、クライエントを個別的に捉えるために必要とされる、“ワーカーの資質”について取り上げました。

本日は、クライエントを個別的にとらえる手段について、具体的に見ていきます。
これらはあくまでも一例にすぎませんが、その中には実際の援助場面で活用できる方法でもあると思いますので、ご参照ください。

1 きめ細かく配慮すること
面接時間の設定ひとつとっても、相手の個別の事情を踏まえて、配慮のある声かけをすれば、クライエントは「自分のおかれた状況を分かってくれている」と実感しやすくなる。
クライエントから得た生活情報を、こうした実務に活用する。

2 面接時にはプライバシーに配慮すること
面接時にどのような環境で行うか。
多いのは面談室で行う場合だと思われるが、その環境がしっかりプライバシーに配慮された作りになっているかどうかがポイントになる。
プライバシーに配慮することは、クライエントの秘密を保持して、信頼感を醸成しようとしている“機関側の態度”を伝えることになる。

3 面接時間を守ること
時間を守るのはある意味当然のことだが、他のクライエントの対応に時間を要したり、その他やむを得ない緊急事態によって時間が守れない場合もある。
こうした時に、クライエントに不安を抱かせることがないように、誠実に対応することに努める必要がある。

4 面接の準備をすること
単純なことではあるが、面接の前に、以前書いたケース記録に目を通す時間をとる。
こうすることによって、前回の面接の状況を思い返すことができ、これから行う面接の目的を、ある程度絞りこんでおくことが可能となる。
また、ワーカー自身のケースに対する集中力を高める上でも役立つ。

5 クライエントを活用すること
課題の解決に必要なことについて、可能な範囲でクライエント自身にしていただく部分を増やす。
ひらたく言えば、個別的な自立支援の視点から援助すること。

6 柔軟であること
援助には一貫性が必要であるが、時に柔軟な修正が必要になる場合がある。
一概に柔軟性は、物事を安易に受け容れることを意味するものではない。
柔軟性を身に着けるということは、ワーカーとして対応の幅が広がること、支援者としての成長を意味している。

以上が、バイステックが挙げている「個別化の手段」。
バイステック自身も述べていますが、これらはあくまで一例に過ぎません。

なので他にも、クライエントが個別的な対応として、「個人として尊重されている」と実感できるような“方法”というのはあると思う。

例えば、クライエントの状況に応じた面接時間の取り方や、時間配分を考える、とか。
その方のニーズに応じた社会資源を紹介するとか、資料を準備してお渡しする、とか。

こうしたことも「細やかな配慮」に入ると思いますが、大切なのは“具体的に”“意識を持って”“実践すること”。
個別化の原則のニーズを満たす、という狙いを持って取り組むことです。

そういう視点から捉え直せば、いくらでも“個別化の手段”は増やせます。
それが、バイステックの言う「柔軟性を持つ」という意味でもありますから。
posted by メタマネ佐藤 at 19:49| Comment(0) | バイステック

2012年05月07日

連載「バイステック」〜個別化の原則その2〜

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月曜日は連載記事の日、ということで。
バイステックの7原則のひとつ、「個別化」の続きです。

先週は、「利用者は個人として尊重される」という事について掘り下げてみた訳ですが。
「じゃあ、どうすれば個別化に則った対応ができるのか?」という所が、今週のテーマになるわけです。

バイステックいわく、これには大きく分けて“2つの準備”がある。
ひとつが、「面談者としてのワーカー自身の準備(心構え)」。
もうひとつが、「個別的な対応をする為の実務的な準備」。

それぞれにとても深い内容ですが、今回はその一つ、「ワーカーの心構え」に触れていきます。
これらは、ワーカーとしての適切な態度や知識、能力を身に付けるための前提条件となる“資質”とでも言うべきもの。

以下にバイステックの述べる6項目を、列挙します。

1 偏見や先入観から自由になること
2 人間行動に関する知識
3 クライエントの話を聴く能力とクライエントを観る能力
4 クライエントのペースで動く能力
5 人々の感情の中に入っていく能力
6 バランスのとれたものの見方をもちつづける能力

ここでは「能力」となっていますが、むしろ求められているのは、先程にも述べたように“資質”。
例えば、5の「人々の感情の中に入っていく」とは、具体的には「クライエントが心を開きやすくなるような親しみやすさ」のことを指しています。

これらの中でも。
私が特に重要だと思うのは、1の「偏見や先入観から自由になること」ですね。
そこで、これに関する引用を、いくつか見ていきましょう。


援助がうまくいっていようと行き詰まっていようと、そこにさまざまなワーカーの動機が入り交じっていることは事実である。
だからこそ、他者を援助する上で不可欠な要素のひとつは、われわれが自分を理解し、自分自身と向き合うことである。
Gordon Hamilton 1948



人間を理解する上で必要であると指摘されてきた事柄は、面接を行うものにも当てはまる。
なぜなら、面接者も一人の人間であり、面接者も意識的な動機のみならず、無意識の動機や両価的感情、偏見をもっており、また客観的に判断して自分の行動をとることもあれば、主観的な判断に基づいて行動することもあるからである。
つまり面接者は、自分があらかじめ身に付けてきた態度を被面接者との関係にも持ち込んでしまうものであり、それによって援助関係は重大な影響を受けるのである。
また、面接者には、自分が抱いている感情は他人も同じようにもっていると捉える傾向がある。
その結果、面接者はクライエントの状況や問題に関して重大な誤解を持つことになりやすいのである。
Annette Garrett 1942


ケースワークで、課題や要因分析を進める時というのは、ある意味自らの蓄積してきた知識や経験を元に、判断していくわけです。
この時に、ある程度判断の偏りというのが起こる。
その事について無自覚であるということが、一番恐ろしいと思うのですね。

さらに、こうした状態であることを、本人が「自分で気づく」というのもなかなか難しい。
真に「偏見や先入観から自由になる」ためには、第三者からのアドバイスが受けられる「人の環境整備」が欠かせないのだ、と感じています。

ちなみに、あとの項目についてもちょっとだけ。

2と3は、その人の生活体験によって蓄えた常識のほか、心理学、医学、精神医学、社会学、哲学といった領域の知識や、面談に要する傾聴や観察、援助の全般的な技法。

4と6は、なかなか学ぼうとして身に付きにくいものですが、常に意識したり、他者からフィードバックを貰うことによってワーカー自身の“芯”を強化していくべきものだと思います。

意識して強化するには難しい項目もありますが、まずはこうした“資質”が必要だ、と言われていることを知っておくことが大切です。
その次に、それを覚えておく。
自分で説明できる。
意識して実践できる。
それを他者にも指導できる。
…というように、ステップアップしていくのが、自分でもできる「資質の強化」法ではないか、という気がいたします。

今日はとりあえずここまで。
次回は、個別化の締め括りといたしましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 22:05| Comment(0) | バイステック

2012年04月30日

連載「バイステック」〜個別化の原則その1〜

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さて本日は、先週からスタートしたバイステックの連載、第2回。

7つある「ケースワークの原則」の中の、個別化の原則について取り上げましょう。

個別化の原則について、ざっと説明すれば「人は誰しも、自らの存在を特別な一個人として認めてほしいという基本的な欲求を持っている。だから、ワーカーはその事に十分配慮して関わらなくてはいけない」というもの。

こう言われると至極当たり前の事ですが、実際の援助関係に於いては、当たり前でないことがある。

例えば、疾患別の特徴で、クライエントの人格や性格までをも分類してしまったり。
生育歴や生活歴を詳しく見ないで、今の状態だけを見て、問題や課題ばかりに目を奪われてしまう事があるからです。

もっと昔に目をやれば。

かつて、エリザベス救貧法というものがありました。
「救貧」となっていますが、その中身は実に過酷でした。

貧困者を有能貧民と無能貧民に分類して、怠惰の烙印を押されたものは者は、収容書で強制労働をさせる。
自らを助ける術を持たない、例えば病に苦しむ者は保護する、但し最低限の劣等処遇で、というものでした。
このエリザベス救貧法は、実に200年以上も継続し、生活困窮者に対する差別を助長していったのです。

簡単にいってしまえば、これが個別化と逆の発想。

社会の都合で、個人に落伍者のレッテルを貼って、一方的に分類してしまう。
非常に冷酷な“援助関係”と言えます。

現代社会では考えられない?
…残念ながら、今でもこういう“感覚はある”と思います。

例えば、生活保護や、精神科領域によく見られる、偏見やスティグマの問題は、これと同質のものです。

ケースワークの母と呼ばれたメアリ・リッチモンドは、「民主主義の初期の段階において、行政はすべての人に同じことをすることが最善の方法であると考えていた。しかし、今や我々は、社会改良を明確に意識しながら、一人ひとりの人に対して、それぞれに異なるサービスを提供し始めている」と述べています。
これすなわち、援助関係を専門職として捉える、個別化の視点。

ここで、バイステックからも「個別化」の要旨を引用しておきましょう。


クライエントを個人として捉えることは、一人ひとりのクライエントがそれぞれに異なる独自の性質を持っていると認め、それを理解することである。
また、クライエント一人ひとりがより良く適応できるよう援助する際には、それぞれのクライエントに合った援助の原則と方法を適切に使い分けることである。
これは、人はひとりの個人として認められるべきであり、単に「一人の人間」としてだけではなく、独自性を持つ「特定の一人の人間」としても対応されるべきであるという、人間の権利に基づいた援助原則である。


そう。
個別化は、人間固有の権利に基づく援助原則なのです。

単純だが奥深い。
そして、具体的に実践するのは、さらに難しい。

そこで次回は、「どんな対応をすれば、クライエントは個別化のニードを満たすことができるのか」という方法論を、焦点化してみます。
posted by メタマネ佐藤 at 19:42| Comment(0) | バイステック