2013年02月15日

メタマネむかしがたり 現実から逃げる。

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どもども、メタマネです。
メタマネむかしがたり、と称しまして。
ブログを通じて、様々な過去の体験談を語っております。

これまで、様々な過去を語って参りましたが。
本日述べますのは、なかなか思い返すのも辛い話。

それは、学校を辞めたときのお話です。

私は高校を卒業して、とある専門学校に入学いたしました。
まぁ、特に希望する進路でもなく。

……大学に行くには、ちょっと学力が足りなくて。
かといって、社会に出る覚悟もございませんでしたから。
「資格でもとれたら良いなぁ」と、安易に選んだ道でした。
ま、やりたいことも特に無かったので。

この頃の希望職種は事務員。
それで、簿記の学校を選んだのです。
(というか、なんでも良かったのよね、普通に生活できれば)

でも。

そこは、半端者には厳しくて。
技能を身に付けるために、朝から晩までひたすら反復学習させる、けっこうなスパルタだったのです。

とにかく、資格取得至上主義。
教育というより、ひたすらに実務的でした。

僕は、半端に跳ね返っていたので。
その学校の方針には、ついていけなかった。

廻りの同級生は、この状況を“おかしい”と思わないのか。
みんな、なにを考えてんだろう。
まぁ、バカばっかりだからか。

そんな風に、肥大した自我の三段論法。
誰とも口を利かなくて。
自分勝手に孤独を深めていった。

まぁ単純に言えば、馴染めなかった。

当時の僕は、ニヒルで相当気持ち悪いやつだったと思いますね。
廻りの人に「感じ悪いと思われているんだろうなぁ」と思ってたし、そのように想像することも辛くて。
出口がなくて、行き場がなくて。
自滅しちゃった感じです。
でも今思うと、自意識過剰の思い込みでしたね。
誰だって、「仲良くしたい」という欲求はある筈なのに。

そして、だんだん学校に行けなくなった。
悪い想像は、どんどん悪い方に膨らむ。
たまに行っても、「あいつ、何しにきたの?」と言われているような気がして、恥ずかしくて学校に行けなかったですよ。
完全に、対人恐怖症になっていましたね。

でもそこは、親にお金を出してもらって、通っている訳ですし。
“悪いな”とか思ってたら、「やめたい」と言い出す勇気も、持てなかったわけ。

だから、「行ってきます」と嘘をついて。
ひたすらコンビニで立ち読みしたり。
公園で、町行く車や人を眺め続けたり。
映画館で同じ映画を何度も見続けたりして。

とにかく現実をごまかして、結論から逃げていたんです。

行き場のない想いが、とにかく辛くて。
すべてを廻りの環境のせいにしていた。

学校が悪いから。
友達がバカだから。
誰も自分を見てくれない。

そんな拗ねた日々でした。

そして、とうとう我慢が限界になって。
家族に、土下座をして、嘘をついていたことを謝った。
そして「学校を辞めさせてください」と言いました。
すごく恥ずかしかったのを覚えています。

そしたら。

家族は、誰も僕を責めませんでした。
「好きにしたらいい」と言いました。
様子がおかしいことはお見通しでしたが、それでも僕が自分から言い出すまで、何も言わなかった。

そうすることで「逃げていたこと」に、強く気付かせてくれたのです。

それから、苦しいことがある度に、こう思うようになりました。

「あのとき、人のせいにして逃げただろ。また、ここでも逃げるのか?」と。
それで、とにかく意地を張って、踏みとどまって、今日までやって来たんだと思います。

あれから僕も年をとって。
今はこう思う。

嫌なことや、辛いことからは、別に逃げてもいい。
逃げたことをごまかしたり、忘れたりしなければ。

すぐに、そのことに向き合えなくても。
時間をかけて、自分の糧に変えていくことはきっとできる。
人間には、常に変化の可能性がある。

それは、「生涯発達の視点」ともリンク。
それは、僕の対人支援の背骨にもなっているのです。

だから。
公園のベンチで過ごした、あの日の苦い思い出は。
今の僕にとっては宝物だ、とはっきり言い切れます。

僕は、このエピソードを“元気の出ない人”にこそ、捧げたい。

多少、厚かましくもありますけど、ね。
posted by メタマネ佐藤 at 22:37| Comment(2) | むかしがたり

2012年12月24日

メタマネむかしがたり クリエスマスコンサートの結ぶ絆。

どうも皆さん、メリークリスマス!

体型だけはサンタに近づいている、“夢なきアラフォー”メタマネが、皆さんに素敵なクリスマスエピソードをプレゼント致しましょう。

私、以前の職場では、デイサービスの介護スタッフをやっとったのです。
現在と同じく、とにかく賑やかすのが大好きでして。
特に併設の、ケアハウスにお住まいの皆さんに対して、なにかできることがないものか、と考えていたんです。

そうしたら。

私の出身校の吹奏楽部で、仲のよかった先輩が顧問に就任されまして。
その先生は以前から、次のような話をよくしておられました。
「生徒に経験を積ませるために、ボランティアで演奏させてくれるところはないだろうか。」

これはまさに、渡りに船。

「ぜひ、うちの施設に演奏に来てください」と、クリスマスコンサートをお願いしました。
演奏だけじゃなくて、終わったあとは施設入所者の皆さんと、食事しながら交流できる時間を設けました。
さらに、一緒にゲームをやって楽しんだり、という。

司会進行は、もちろん私。
でしゃばりなんですが、とにかくいきいきと仕事をしている姿を、後輩たちに見てもらいたい、という気持ちもありました。
実現させるまでには、それなりに大変だったんですけどね。

やってみたらこれが、とにかく大盛況で。
特に、入居者さんの喜びようがスゴかったんです。
学生さんたちにとっても、皆さんの喜びようがダイレクトに伝わるし、きっといい経験になるだろう。
押し付けがましくも、そんな風に考えていました。

それ以後その施設では、クリスマスにかならずコンサートが開催されるようになり、私が職場を離れたあとも、ずーっと交流は続いているのだそうです。

これが、今から12年ほど昔のこと。

それから時は流れ。

先日とある施設の研修で、講義をしたときの話。

講義を終えて片付けをしていると、近づいてくる一人の若者の姿が。

「佐藤さん、僕のこと分かりますか?」
一瞬よくわからなかった私。

すると「実は僕、関西高校の吹奏楽部出身です。ご無沙汰しています」と言うんですね。
彼は、その時のクリスマスコンサートの経験から「介護の仕事をやりたい」と思ってくれたらしく、それから10年の時を経て、私の研修で再会した、というワケです。
ありがたいご縁です。

彼は、現在26才。
若くして、デイサービスの管理者になっていました。

「あのとき、佐藤さんの姿を見て、介護の仕事がしたいと思った。
そして、高齢者の皆さんの喜ぶ顔が忘れられなかった。
あの経験がなければ、今の自分はありません。」
と言ってくれたんです。
先輩冥利に尽きる一言。
これは嬉しかったですねぇ。

しかもどうやら、その時の経験から、介護の世界を目指す後輩たちが、多く育ってきてくれている様子なのです。

自分はその時。
ただみなさんに喜んでほしくて。
生徒たちにいい経験をしてもらいたくて。
頑張ってました。

そして、時が過ぎても。
その時生まれた絆は、生きている。
今はまた、違った形で社会に還っている。
自分の踏み出した小さな一歩が、大きな力に育っている。

そうか、と思いました。

僕は、人前で胸を張って、偉そうに話ができるような、立派な人間じゃないけれど。
介護の仕事が、とにかく楽しくて、大好きで、夢を語ることはできる。
そして、それを見て、介護の仕事に夢をもって飛び込んできてくれる人もいるんだ。

だから。

これからも、大切に自分の夢を語り続けよう。

そんな風に考えました。

そして今ごろまた、私の元職場では、恒例のクリスマスコンサートが行われているはずです。
posted by メタマネ佐藤 at 19:35| Comment(0) | むかしがたり

2012年12月03日

メタマネむかしがたり 承認欲求とリビドーの日々。

どうも、12月に入ってやたらと寒い日が続きますね。
そろそろ北の方は雪が積もりだしたんではないか、と。

私、メタボなんですが。
実は、スノーボードとかもやるんです。
なので、冬が来るたびに、むくむくと頭を持ち上げる遊び心。
はじめて雪山に行ったのが20才の頃ですから、なんだかんだで18年目。
実は、ちょっとしたベテランボーダーなんです。

まぁ、痛いのが嫌なもんで、飛んだり跳ねたりは致しません。
怪我しても困るしね。
だけど、普通に滑って降りるくらいは、どうにかできるんですな。

はじめて滑りにいったときは、立ち上がることすらできなくて。
「二度とするもんか」とスネ夫くん入ったりしたんですけども。

そこはモテたい一心で。
次の年には一式揃えてましたよね、衝動買いで。

その頃は“スノボ”も流行りはじめでしたし。
ナイナイの岡村さんも、テレビでメソッドエアー決めたりしてね。
なんか、無条件に「カッコイ〜〜〜(*≧∀≦*)」みたいに、女子たちに思ってもらえるのかな?みたいな勘違いもあり。

ケツに青タン作りながら、頑張って練習して滑ってたね。

今、思いますと。
これに限らず私、「なんでも“モテたい”が動機だったな」と思ったりします、恥ずかしながら。

孔雀が、羽を広げてアピールするように。
「ほらみて。僕ってスゴいでしょ?」とアピールしたいが為に、努力しとった気がすんのよね。

いわゆる承認欲求ですね。
そして、抑えきれないリビドー。

だから。
20才ぐらいの頃ってのはさ。

趣味とかいいながら、自分のためにやってんじゃなかったワケ。
女子にカッコいいと思われたいから、やってたワケ。

……でも、動機はともかく、なんでもやってみるもんです。
年とってからも、なんだかんだと楽しみを続けられますもの。
今、この年で始めるというのは、たぶん体力的にキツいからね。

だからと言うんでもないが。

若いうちというのは特に、「動機が不純ぐらいでエエんちゃう?」と思ったりします。
そういう他者からの視線や評価を意識するからこそ、向上心や努力が起こる、とも言えるわけですから。

あんまり自我を抑えてさ。
“草食系”とか言うのは、もう禅の世界ですよ。
ガッツリ行くのが大事な年齢というのもある。

煩悩全開で。
勘違いと言われながらも。
なんやかんやと、やったらエエんと違いますかね。

そんなこんなで、今も僕は一人ですから、あんまり説得力はないですが。

ま、今が楽しいから良いんですよ、僕は(/_;)
……いや、ほんとに。
posted by メタマネ佐藤 at 20:47| Comment(0) | むかしがたり

2012年09月22日

メタマネむかしがたり ばぁちゃんのかりん酒。

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なんだか、すっかり秋らしくなってきましたね。
コオロギだのスズムシだのの鳴き声が聞こえてくると、なんとなくセンチメンタルになってくるというものです。

ましてや、風邪引いたりして、少し体が弱っていたりすると、なおさらのこと。
昔のことを思い出したりします。

そんなわけで、今日は久しぶりのむかし話。
ばあちゃんがよく作ってくれた、思い出の“かりん酒”の話でもしましょうか。

このかりん。
漢字で書くと「花梨」。
“花の梨”と書くだけあって、見た目は梨に似ています。
とても良い香りがするけど、そのままでは食べられない。
だから、それを果実酒なんかにして飲むわけです。
のど飴の成分になったりしてるから、察しがつく人もいるでしょうが、このかりんは「のどに良い」と言われているんです。

僕は小さい頃喘息持ちでしたから。
体調が悪いときには、よくこのかりん酒をばあちゃんに湯割りで作ってもらって飲んでいた、という訳です。

そして、これがまた、香りがよくて美味い。
でも、お酒ですから、元々子供の飲み物じゃあない訳で。
喘息の発作が出たときくらいしか、飲ませてもらえない。

苦しいのは嫌だったけど、ばあちゃんのかりん酒を飲ませてもらえるのなら、まんざらでもなかったですね。
どうしても欲しくなって、目を盗んで隠し飲みしたりして。
でも、香りが強いし、お酒の臭いもするから、絶対ばれちゃうんだよね。

そうこうしている間に、僕も大人になって。
いつ頃からかな、ばあちゃんもかりん酒を作らなくなって。
かりんの木も、無くなった。

あれは枯れてしまったのだろうか?
どうしちゃったのか、今一つ思い出せないのだけれど。

祖母が亡くなったのは、今から16年前の丁度今ごろ。
旅立ちの日は、それまでの暑さや天候不順がウソのような、晴れ渡った秋空で、「ああ、ばあちゃんにピッタリだな」なんてことを思っていました。

僕はとにかくばあちゃん子で。
僕にとっては“祖母”というより、“親が3人いる”というような感覚でした。

とにかく、勝ち気で短気で。
根性一筋の開拓農民でしたから。
今思い出しても、それはそれは、強い人だった。

なんでだろうな、最近あまり思い出してなかったよ、ばあちゃんのこと。
まぁ、お彼岸ですからね。
こういう風に、故人を偲ぶということも大切ですよね。
今の自分がいるのは、それに連なるご先祖様のお陰な訳ですから。

ああ。
また飲みたいなぁ、ばあちゃんのかりん酒を。
posted by メタマネ佐藤 at 22:54| Comment(0) | むかしがたり

2012年06月09日

メタマネむかしがたり 受験勉強って何だったの?

今日は「受験勉強」をテーマに、徒然に書いてみます。

これまでにも何度か触れてきましたが、私は学生時代あまり勉強していませんでした。
自分の好きなことには熱中できましたけど、受験勉強については、何のために勉強するのかが、よくわからなかったからです。

これについて今は正直に、「勉強をやりたくないが為の、単なる言い訳だったな」と振り返っています。

だって、思春期の僕は大学出の肩書きが欲しかったですからね。
肩書きが欲しかった理由としては、人並みにお金が欲しかったからです。
社会の有り様なんて、未成年で未熟な僕にはわかりませんでした。
なので、とりあえず不安ですから、食いっぱぐれの無いように、大学くらいには行きたいな、という“ライセンス欲しさ”だった訳です。
我ながら、くだらない動機。(笑)

そんな程度のモチベーションでしたから、受験勉強が面倒臭くて出来なかったってことなんだね、結局。
それで、弱い自分をごまかすために「社会に出てから役に立たないような勉強をするのは、時間の無駄」と言い訳してたんですね。
ヒネくれたガキですけど、ある意味正解だ、とも思う。

多分ですけど、言い訳せずに本気で受験勉強をやっていれば、もっと学歴を積むことはできただろう。
そしたら、今と違う道もあったのだろうな、とは思っています。

だけど、それじゃあ今の仕事にはたどり着かなかったよね。
今は毎日が本当に楽しいので「あの時、もっと勉強しておけば良かったなぁ」という後悔は全くありません。
それもまた、僕にとっての真実。

と、すれば。

今の僕には、昔以上に「受験勉強は意味が無い」と言える様になったってこと。
だから「何でそんなことせんといかんのか」って若い子に言われると、答えが出ない。
「したくなかったら、せんでええんじゃない?」ってしか言えないな。

ま、就きたい仕事があって、その為には偏差値が必要な場合は別。
「言い訳せず勉強しろよ!やりたいことあんだろ!」って言える。
だけど先が見えない、保障が無い中で、何年も受験勉強をやらされるってのは、本当にしんどいよね。
そりゃあ普通に“病む”。

先生、受験勉強って何なんですかね?

思春期の僕たちを相手に、大人はこんな風に言っていた。
「大人になって子供ができたときに、こんなこともわからないのかってバカにされてしまうよ」
「勉強しないと、良い学校にいけないよ」
今思うと、これは答えとして0点。

「四の五の言わずにやれ!」と叱る人もいた。
これは少しマシだから30点。

だって。

子供にバカにされるのが、そんなにいけないの?
自分の子供に教えるというシチュエーションって、人生のなかでそんなに重要?
大体結婚できるかどうかもわからん。
そもそも、良い学校に行ってどうするかの方が問題。
「目標」を明確に持てるように、色々教えてほしいけど……先生に聴くってのはダサイし。
しまいには「言い訳するな、やることやってから言え」ってか。
ヘイヘイ(サボっちゃお)。

そんな感じの中高時代でした。

やりたいことがはっきりしてないと、大人になっても結局は迷う。
一生懸命勉強していたとしても、それは同じだ。
良い学校に行ったからって、立派な社会人になれる訳じゃない。
むしろ、若い頃に色んな経験、体験を積んでいる人の方が、あとあと成功するケースが多いのは、結果が示している。

それは、アイデンティティ形成の問題。
自我同一性 対 拡散。

モラトリアム人間は、増殖し続けている。
その責任は、誰が担うべきなのか。

…話が大きくなりすぎましたね。

五味太郎さんの、「大人問題」より。

大人は子供に対して、すぐ試験をします。
まさに試すのです。
実力をつける、客観的評価をするなどという理由のもとに、子供をいたぶっているとしか、僕には思えません。
なぜ、そんな形でしか実力つけられないんだろうか、最後はテストなんだろうか、点数なんだろうかと思います。
それが大学入試まで続いて、社会に入っても営業成績という点数化によって評価されていく、この社会の雑さ、未成熟さ。
救いがないなあという感じがします。


まさにそういうことなんじゃないかな。

テストで良い点とることなんか、生きる目標にはなり得ない。
そんな未成熟な状態で、社会に出たところで、通用するわけがない。
結局、生きてく力が弱いんという事になるんじゃあないのかね。
そういう人にとっては、学歴なんぞはむしろ邪魔。

だったら。

やりたいことをやった方が百倍マシ。

それを見つけていけるような教育を。
「13才のハローワークを、もっと真剣にやってよ先生。」
と思うメタマネなのでした。(難しいだろうけどねぇ…)
posted by メタマネ佐藤 at 20:57| Comment(2) | むかしがたり

2012年05月03日

メタマネむかしがたり 介護との遭遇。

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いや〜、世間は“ゴールデンウィーク”なんだってね。
でも「そんなの関係ねぇ(〓小島よしお)」!

「9連休なんぞ、まっとうな連中じゃねえさ」と一人ごちる、今日も仕事の漢(自称)、メタマネです。

さて。

創心會では、今週から新卒社員達が現場デビュー。

「血圧測る手が震えてた」とか、「アガりすぎて挨拶が何言ってるか分かんなかった」なんて、可愛らしいエピソードを耳にしつつ。
「自分が現場デビューしたときは、どんな感じだったっけ?」
なんて自問自答。
今日はそんな、むかしがたり。

僕は実は、第2次ベビーブーム世代。
誰だ?「団塊の世代の間違いじゃねえの?」なんて言ってるヤツは!?

……まぁ。

大学受験の時なんざ、「これからは福祉の時代だ」なんて言われ、先生からも勧められたものだった。
今では高校の先生が、福祉系の受験に反対するなんて言われますけどもね。

ま、そんな当時の世論はさておき。
僕は、自分が福祉の現場に出るとは思いもよらなかった。

理由は単純。

「僕には入浴介助とか、排泄介助とか、絶対ムリ。」
と心底思っていたからね。

それまでの僕は。
何となく、普通に事務職で働いて。
何となく、普通に結婚して。
「平凡に生きていくんだろうなぁ」と思っていた。

そんな感じで就職した医療事務。
21才の春のこと。

突然告げられた、新設の施設への異動。
経験したことがない介護の仕事。
まず受けたのはショックだった。

「何やればいいの?」
「とりあえず、迎えにいきゃいいワケね?」
……てな具合で飛び込んだ介護の世界、デイサービス。

そしたら。

「ここへ来るのが楽しみじゃ」
「あんたに会えて良かったわ」
と、素人の僕に感謝の言葉を送ってくださる高齢者の皆様。

その言葉が、有り難く。
ただ有り難く。
申し訳なくて、涙が出そうでした。

そんなこんなしてたら、僕をずっと慈しんでくれていた、バァちゃんが死んだ。
その時はショックだったけど、介護の仕事をしている僕を自慢に思ってくれていたみたいで。
日記にそれを書いていた。
直接言わなかったけど、僕はそのことを誇らしく思った。

利用者の人もいっぱい亡くなった。

突然のこともあったし。
悔しいこともあったし。
悲しいこともあったし。
感動したこともあった。

そして、仕事のなんたるかを教えてくれたご利用者様は、今では殆ど彼岸の住人になっている。
その意味に、僕はきちんと向き合えているのだろうかと、僕は時々自問する。

…人はいずれ、死ぬ。
それに限りなく近い、神聖な時間を、僕たちはお金に変えている。

……有り難い言葉を頂けるって言うけれども。

それで喜ぶ「素人」のまんまで良いのか?
それでメシ喰ってるなんて、言えんのか?

……違うよね。
それは、違う。
そんなんで喜んでたら、かえって失礼だ。

だから「一生懸命やる」なんて、当たり前すぎて笑える。
「何ができるんか」を、具体的に積み上げていかないと。

自分を、皆さんの役に立てて頂けるように。
自分を、道具のように使って頂けるように。

それができてこそ、徹してこそ、「これでメシ喰ってる」自分になれる。
むしろ、そうしていかなくては、自分の人生がウソになる。
だからとにかく、勉強しなくては。

…そんな風に思うようになるまで、僕の場合は、あまり時間は掛からなかった。

ま、でもね。

張り詰めすぎると息切れしちゃうから、ペースはゆっくりでも良いんだ。
けど、毎日少しでも前進していたいよね。
そう思うようになってからは、毎日ずーーーーーっと“仕事が楽しい”。
バカみたいだけど、ほんとのはなし。
この仕事に出会えて、本当に感謝してる。

だから、新入社員の皆さんにも、この仕事の悦びを早く知って欲しいの。
一人でも多くの人に、味わって欲しいの。

……むかし。

自分の意に反して、介護の仕事をやることになって、落ち込んでいた僕に。
「この仕事は、3日やったら辞められなくなるよ」
と言ってくれた先輩がいた。

ほんとにそうでした。

…あれから月日は流れたけれど。

僕には、他の仕事なんて考えられない。
「首まで」どころか、水深3メートルぐらい浸かっている。

まさしく、「No 介護 No life」。

我ながら、バカみたいで笑える。
posted by メタマネ佐藤 at 22:12| Comment(2) | むかしがたり

2011年12月26日

メタマネむかしがたり “先生と呼ばれるほどのバカでなし”

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もう今年も、残すところあとわずかとなりましたね。
「今年の汚れ、今年のうちに」ではないですけど、今年中に片付けるべき仕事は、今年中に済ましておきたいものです。

さて。

私もこの仕事について15年あまりが経ち。
「知らぬ間に、結構長くやっているなぁ」と思う昨今。

忘れられないご利用者様、というのも何人かいらっしゃいます。
今日はそんな、ひとりのご利用者様の話。

私がこの仕事に入って間もない頃、その方と出会いました。

県内の普通科高校の、校長を歴任してきたという独り暮らしの男性。
常に背筋を伸ばして、かくしゃくとした話し方をされる方でした。
また、自宅の庭で、数百種類の茶花を育てている粋人でもあり。
デイサービスに来られる時は、数種類の茶花を摘んで、その名前と謂れを教えてくれました。
照れ屋で頑固な所もあり、核心は豪快に笑ってごまかす、というような方でもありました。

そんな方でしたから、地域の中でも知り合いが多く、よく「○○先生」と他のご利用者さんから呼ばれたりしていたのですが。
そんな時は決まって「先生と呼ばれるほどのバカでなし」と笑顔で切り返し、その場を離れていました。

ある時、僕はその意味を本人様に聴いてみました。
すると、
「前は学校の先生なんぞをしていたが、それはただ仕事でやっていただけのこと。
今はただの、独り暮らしのジジイだから。
先生と呼ばれることを、当たり前のように思うようになると、普通の人付き合いができないようになる。」
と言われていました。

この言葉、とても胸に響いたのを覚えています。

つまり、人は常に“謙虚”でなくては、自分を見失う、という意味ですよね。
社会的に見れば、間違いなく「偉い先生」の言われた言葉であっただけに、真実味をもって、私の心に響いたのだと思います。

結局その方は、理由を言わずにデイサービスをお辞めになりました。
だけど、その方の笑顔やお人柄は、私の胸に生き続け、今でも大切な何かを教えてくれています。

今更ながらですが、“ご利用者様から”“現場から”学ぶ。
この基本ができなくては、対人援助職としての成長は無い、というのが、私自身の信念とするところでもあります。

大切なのは、経験は量や長さではなく、経験の質が大事、ということ。
経験を、自分なりにどう解釈して、意味付けるのか。
どう活かすのかは、“自分次第”ということです。

つまり。
こうした出会いは、この仕事に就いている、みなさん誰もが“経験している”はず。
それを自分のなかで意味付ける作業。
それが「現場から学ぶ、ご利用者様から学ぶ」という事だと私は思うのです。

そうした経験を、ご利用者様から与えていただき。
私も時々、色んな場所で講演などをさせて頂くようになり、「先生」と呼ばれることも増えてきました。

しかし、それを当たり前のように思わないように。
先生と呼ばれることの意味と、自分の役割をよく噛み締めて。
「先生と呼ばれるほどのバカでなし」を胸に、もっと成長できるように、頑張って勉強したいと思っています。
posted by メタマネ佐藤 at 20:52| Comment(4) | むかしがたり

2011年12月21日

メタマネむかしがたり とうちゃんの運転免許。

毎日、寒いっすねぇ。
なんか、これで例年通り位なんでしょうか?
いつもより寒く感じるんですけど、毎年そんな風に言ってんでしょうね。

さて。

ひさ〜しぶりに、幼き日の思い出なんか語ってみましょうか。

今日語るのは、僕がまだ幼稚園くらいの時のことです。
なんだか最近、ふと思い返すことがありまして。
自分の今の思いを書いてみることにしました。

では、語ります。

前にも書いたことがあるんですが、僕んちの両親は耳が不自由なんです。
んでも、二人ともすごく前向きだし、それが「不便だな」と思うことはあっても、「不幸だな」と感じたことはありません。
当事者の二人はどうかわからんが、少なくとも僕はそうなんです。

これは、そんな僕の父ちゃんが、「車の運転免許をとりたい」と言った時のはなし。
先にも言いましたが、このとき僕は幼稚園くらいの年齢でした。

うちにはそのころ、ばあちゃんも同居してて、これがなかなかの肝っ玉婆さんだった。
そして、免許を取得することには、“絶対反対”だった。

父ちゃんや母ちゃんからすれば、車の免許があれば行きたいところへ行けるし、買い物も便利だ。
僕を色んな所にも連れていってやれる。
耳が聞こえないからといって、運転できない訳じゃ無い。
だから、免許を取りに行かせてくれ、と訴えた。

ところが、うちのバアちゃんは大反対。
色々言ってたが、要約すればこうだ。

「人様を怪我させたときに、世の人達は「なんで障害者に運転させたんだ」と見る。
私は親の責任として、免許を取らせる訳にはいかない。」
と、自分が悪者になって、心を鬼にして言ってた訳です。
まぁ、うちの父ちゃんはムコさんなんで、義理の息子ですが。

ただ、今思うと凄く封建的な、差別的な考えです。
これ、父ちゃん側の、実の母親からの願いでもあったのです。

というのも。

父ちゃんの父ちゃんは(おれからすりゃじいちゃんだな)、うちの父ちゃんが生まれてすぐに、トラックに跳ねられて死んでしまってるんですね。
うちの父ちゃんは7人兄弟の末っ子ですから、幼い頃は相当苦労したようでした。

ま、そんな訳もあって。

「免許は絶対に取らせん」てな具合で、よくケンカになってたのさね。

僕はというと。

すごいバアちゃん子だったから、良いとも悪いとも分かんないのに、無条件にバアちゃんの味方をしていたのだな。

今思うと、ホントにヒドイことしてたな。
「車の運転ぐらい、させてあげりゃあ良かったのに」と思う。
健常者だって、いつ事故起こすか分かったものじゃないんだからね。

一回、すごいケンカになったとき。
僕はケンカして欲しくなくて、泣きながら「絶対運転したらダメ!」って食ってかかったの。

そっからは、父ちゃんは二度と「免許がほしい」とか、言わなくなった。
バアちゃんが死んだ今でもそう。

僕は大人になって、その事に罪悪感を感じるようになりました。

そして想います。

バアちゃんが車の運転をさせなかったのは、間違いなく親としての愛と責任感。
そして悲しいかな、障害に対する片寄った認識。
心のバリアを、自分から作ってしまった状態とも言えるでしょう。

……バリアフリーや、ノーマライゼーションというと、今でこそ常識的な観念かもしれません。
しかし、今からおよそ30年前の、その頃はどうであったか。
さらに、私の両親の生まれ育った頃はどうであったか。

こうした愛ある差別こそが実は問題で、解決の難しいことだと思うんです。

まぁ、そんなこともありましたけど、今では思い出話。

ドラえもんが実在するならば、ぜひタイムマシンであの日に戻って、違う結論が出るようにしたいものです。
posted by メタマネ佐藤 at 21:40| Comment(0) | むかしがたり

2011年08月11日

メタマネむかしがたり かあちゃんの夜なべ。

突然だけど、「親ってありがたいなぁ」って思います。
ながらくそんな当たり前のことを、“ただの当たり前”と思ってきたんだなあ、という事を日々実感するメタマネ。
おそらく、根っこの一番深いところまでは、まだまだ理解はできとらんでしょう。

最近ふと。

家に置いてあるミシンを見て、かあちゃんがよなべをしてくれていた時のことを思い出しました。

うちのかあちゃんは、僕が小さい頃、家で服の内職をして生計を助けていました。
だから、業務用の大きなミシンが、僕ん家には2台ありました。
今は、足ふみの古いミシンが1台あるだけですが、当時のかあちゃんの仕事姿は、今思い出してもなかなかカッコエエもんでした。

洋服の内職は、大抵が出来高払い。
なので、僕んちでは、毎晩遅くまでミシンを踏む音が聞こえてきました。

家事と子育て、さらに内職に百姓。
マザコンみたいですが、ほんとに母親って偉大です。
まぁこれは、世のお母さん全てに言えることだと思いますが。

さて。

小さい頃、僕が寝るのはだいたい9時頃でしたが、うちのかあちゃんがそれより早くに仕事を終えることはほとんどなかったと思います。

僕を寝かしつけて、しばらくしたらまた仕事に戻る。
眠くならないように、コーヒーを飲みながら。
僕は、夜起きたときにかあちゃんがいないのが嫌で、「コーヒーばっかり飲まないで!」って怒ってました。
…4〜5歳くらいの時のことですよ(((^_^;)

ミシンのガタゴトという機械音が、僕にとっては子守唄になっていました。

そんな母ですが、僕が中学を卒業する頃には仕事をやめてしまいます。
安い海外産の被服が流通の中心となり、昔ながらの内職では、殆んどお金にならなくなってしまったのです。
それは残念なことではありましたが、うちのかあちゃんにとっては逆によかったのかもしれません。
わずかばかりの工賃料を得るために、体を壊すようなことになってもいけませんからね。
今は楽隠居で、のびのびやってます。

まあ、そんなかんじで。
今日は、かあちゃんの思い出話なんぞを綴ってみたメタマネでした。
posted by メタマネ佐藤 at 20:59| Comment(4) | むかしがたり

2011年07月28日

メタマネむかしがたり 歌は世につれ。

突然ですが、カラオケ大好き、メタマネです。
僕の若い頃、どんな人がモテたかって言ったら、なんつっても歌のうまい人だった(ように思ってた)。

僕がちょうど高校生くらいの頃だったろうか。
カラオケボックスが世に広まり出したのは。

高校生の頃は、なんつっても「どうやったら女の子にモテるか」ってことしか考えてなかったように思います。
それは、男子校に通っていた反動であったのか。
若き日ゆえのリビドーであったのか。

なんにしても、行動の基準は常にソレ。
学校の勉強なんかより、正直ず〜〜っと大事でした。

まあ、大体週に3回くらいはカラオケに通っていましたね。
時々、それをテープに録音したりして。

アホな友達と、自分達の歌声を繰り返し聞きながら、「ここはこうやった方が上手く聞こえる」とかやってました。

そんなわけで、自分の声を鍛えていたんですが、それでモテるようになったかってえと…… (ノ-_-)ノ~┻━┻
女性というのは、ミステリアスですね ★

そんなわけで、無駄に時間を過ごしたようにも思うが、若い頃の経験は、意外なところでアドバンテージとして活かされるようになるもので。
僕の場合は、デイサービスという職場がそれだった。

カラオケから流れる懐メロに合わせて歌うと、とにかく大盛り上がり。
普段気難しい人も、帰宅願望の強い人も、「もっと歌って〜〜(//∇//)」と、とにかくメチャモテ。
モテたい願望は、はからずも果たされることになったんです。
まあ、相手はトリプルスコア以上のお姉さまであった訳なんだが。

それはさておき。

どんなに年が離れていても、やっぱり喜ばれると嬉しいわけで。
いっぱい勉強して、懐メロを沢山覚えました。
たぶん全盛期は、200曲以上覚えてたんじゃないでしょうか。

そうして色々な歌を歌ってみると。

戦前や戦後の歌謡曲というのは、実に意味が深くて、美しいということが分かるようになってきた。

その時代の“好きな歌”、沢山あります。

シベリア抑留者の方たちが、寒さと重労働に耐えながら、故郷を思って歌い上げた「国境の町」。
集団就職で故郷を離れた若者が、都会の片隅で、ふと母親を思い出す「ああ、上野駅」。
人生の悲哀漂う、古賀メロディの数々。

くぅ〜、泣ける(/_;)。

実は、今でも訪問の時に、利用者様と一緒に懐メロを歌うことがあります。
歌は世につれ、世は歌につれ、とはよく言ったもので。
そうしたきっかけから話が広がって、その方の意外な生活歴に触れることもあるんですよね。

なんでも無駄なことって無いもんだ。
と自己満足で締めておきましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 21:27| Comment(0) | むかしがたり

2011年07月22日

メタマネむかしがたり 卒業文集 。

こないだ、小学校の頃の卒業文集を引っ張り出してみました。

大体、小学校の思い出、というと修学旅行であったり、運動会であったりすると思うんですが、ぼくは何か変な事を書いてました。

タイトルが“大金”。
まずこの時点で、小学生が書くようなタイトルではないですね。(笑)

どんな内容かというと。

中学校に通うための通学用自転車を買いに、5万円という(小学生にしては)大金を持って、自転車屋さんまで歩いたときのことを書いたものです。
卒業文集に書くよ〜なこっちゃねぇΣ(-∀-;)

多分、「宿題やんなきゃ」みたいな感覚で書いてたからだろうな。
アルバムになった時には、「あんなこと書くんじゃなかった…」って思ったけど、あとになってみると、なかなか面白い子だったんだなあ、なんて微笑ましく思います。

道すがら、「犬に吠えられてビビった」とか、「知らない人が自分を狙ってるんじゃないかと思った」とか、ど〜でも良いこと書いてました。

でも、先生には“目の付け所が面白い”って誉められました。
やっぱり、「人に誉められる経験」というのは、エピソード記憶として長く残りますね。

あと、20年後の自分、30年後の自分、っていうのも書くようになってて、これがまた輪をかけてワケわかんない内容。

こっちは恥ずかしすぎて、公表できません。
よくこんなこと卒業文集なんかに書いたもんだと、我ながら逆に感動しましたね。
posted by メタマネ佐藤 at 21:22| Comment(0) | むかしがたり

2011年06月21日

メタマネむかしがたり 行きつけの自転車屋さん その後。

どうも、メタマネです。
今日のむかしがたりは、先週の続き。
私がいつもお世話になっている、自転車屋さんについてです。

私がお世話になった先代の店長さんは、若くして亡くなられ、その後暫くしてお父さん(先々代)は店を閉められました。

自分である程度のメンテナンスができる人は良いんですが、私のような機械音痴はどうしてもうまくいきません。
常連客達は、その後、自転車のメンテナンスを他の自転車屋さんに委ねることになり、それぞれに散って行きました。

私は、それから“本腰で自転車に乗る”、ということが減ってしまいました。

しかし。

店長さんが作ってくれた人の輪は、途切れることはありませんでした。
その後も自転車チーム“natural”は存在し続けます。

それに大きな役割を果たしたのが、以前店員として働いていた、こーちゃんでした。

そのこーちゃん。

自身の結婚を期に、店を辞めて、大企業に就職していたのですが、店長さんの死を境に一念発起。
亡き先代の恩に報いるため、自転車屋を継ぐ、と決めたのです。

私は、こーちゃんの男らしい決意にも、それに従った奥さんにも、素直に脱帽しました。

かくして、先代、先々代の思い出が詰まった自転車屋は、主を変えて、新しく生まれ変わりました。

その名は“やまうちサイクル”。

先代のマシンと写真を店内に飾り、営業を再開することになったのです。

人の輪は、こうして受け継がれました。

量販店が多数存在する自転車業界。
ただでさえ車社会の現代、小さな“町の自転車屋”を運営するのは、本当に大変そうですが、遊びにいくと、いつもご夫婦で、笑顔で迎えてくれます。

店の場所は、岡山センターの程近く、福富にあります。

ちょっと本格的な自転車に乗ってみたいという人も。
シティライドのオシャレな自転車が欲しい人も。
ままチャリで十分という人も。
やまうちサイクルさんは誠心誠意、お世話してくれるはずですよ。ヽ(・∀・)ノ

詳しくは、やまうちサイクルさんのホームページをご覧くださいね〜。
posted by メタマネ佐藤 at 20:26| Comment(2) | むかしがたり

2011年06月14日

メタマネむかしがたり 行きつけの自転車屋さん。

自転車大好きのメタマネですが、このところはど〜もサボりがちです。
ブログのタイトルも、「変えちゃった方が良いかなぁ」なんて弱気になってたり。

それはそれとして。

今日は僕が行きつけの、自転車屋さんの思い出話。

僕が自転車の楽しさに目覚めたのは、ウチの近所にある一軒の自転車屋さんの影響でした。

そこには、ロードバイクをはじめとする様々な自転車の愛好家が集ってきます。
店が、僕の仕事の通勤経路にあったので、飾っている自転車を眺めながら、店に集うお客さんを見ながら、「かっちょええなぁ」なんて、憧れてました。

ロードバイクって、ちょっと敷居が高い趣味のような気がして、なかなかその店を訪れることができなかったんですね。
しかし、思いきって訪ねてみると、店長さんも店員さんも、すごく優しく迎え入れてくれたんです。

店長さんは、2代目さん。
いわゆる町の自転車屋さんだった、先代のお父さんと一緒に店を切り盛りしていて、店の半分を改装してそこにスポーツサイクル専門スペースを作った、という話でした。

店にはサイクルチームもありました。
レースに出るチームは「natural」。
楽しみで走るチームは「human chain」。
自然と人の和を大切にする店長さんの人柄が、チーム名にもにじみ出ているでしょ?
話を聞くと、「自転車の楽しさを、一人でも多くの人に知ってもらいたい」と願っている様子が伝わってきました。
イベントなんかの時には、チームを労って炊き出しをしてくれたり、ものすごくお世話になったんです。
年に4回くらいはお楽しみサイクリングを企画したりして。

時々チームのみんなで酒飲んで。
歌って。
とにかくサイコーでした。

自転車を始めるときには、車体だけでなく、靴やヘルメット、サイクルウェアやアイウェアなど、初期投資がかなりかかります。
そんな僕に、「僕の使い古しだけど、よかったら使ってください」とグローブをプレゼントしてくださいました。
ホントは売り物なんですが、「儲けることだけが目的じゃないから」と笑顔で話していました。
チームの忘年会の時にも、皆さんに自転車用品の売れ残りをプレゼントしてくれたりしていましたねぇ。

でも、そのグローブ。
今は店長さんの形見になってしまいました。

享年37才。
突然の脳梗塞が原因でした。
自転車で、1日に100キロくらいは平然と走れる、超スポーツマンの店長さんの突然の訃報は、関係者全員に大きな衝撃をもたらしました。
だれもが「なんで?」って思いました。
チームの仲間は、結構年上のおっちゃん達が多かったんですが、みんな泣いていました。

店長さんの愛情がつまった店も、いったん閉める事になった。

しかし、この話はそこまででは終わりません。

続きは次回の「むかしがたり」でお話ししたいと思います。
posted by メタマネ佐藤 at 23:06| Comment(0) | むかしがたり

2011年05月05日

メタマネむかしがたり 百科辞典。

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今日は子供の日。

メタマネにも男の子が一人いるんです。
この木の様に、「立派に大きくなってくれよ」と想いを込めて、写真をアップしました。

今はあんまり会えないんだけどね………ρ(..、)

さあ、ブッチギリ暗い出だしはさておき。

繰り返しますが、今日は子供の日だから、メタマネの子供時代を振り返るぞ、と。

メタマネはむかし、どんな子供だったか。

一言で言って、よわっちかった。

病気がちでおどおどした子だった。

近所の子に泣かされて、いつも体育ではビリで。
カッコ悪い代表、それが僕。

しかし僕には、誰にも負けない所が一つあった。

それは、誰よりも“物知り”だったってコト。
小学校では、「百科辞典」というあだ名だったの、マジで。

なんでそうなったのかを振り返ってみよう。

ウチの両親は、前にも書いたが耳が聞こえない。
いわゆる“ろうあ者”なのね。

聾教育でよく言われるのは、“9才の壁”というもの。

耳から言語情報を得られない聴覚障害者は、どうしたって得られる情報が限られる。

手話には助詞の“て、に、を、は”が無い。
だから、「僕を、学校が行きました」みたいに間違う。
耳から言葉が入らないってのは、そういう事なんだな。

そうなると、言語の習得レベルが、およそ9才程度で、それを超える事が難しい。
つまりこれが“9才の壁”という訳だ。
一般にはあんまり知られてないけどね。

つまり。
ウチの父ちゃん、母ちゃんは、僕に、日本語を教える事は難しい訳だ。

…だけど。

うちの両親は、自分が話せない代わりに、沢山の本を僕に与えてくれた。
図鑑や、学研のひみつシリーズや、偉人伝。
僕にとって、そんな本を読む事こそ、家族の会話だったんだと思う。

学校の勉強は嫌いでも、本を読む事は好きだった。
運動では負けても、物知りでは負けない。
だから僕は、「百科辞典」になったんだろう。

耳が不自由な、言葉の話せない親だからこそ、僕はそうした所で負けたくなかった。
それこそ、幼い僕のプライドだったんだと思う。

そしてそれは、多分今でも変わってないんだよね。
だから俺、スゲェおしゃべりになったんだろうな、なんて思いますよ(笑)。
posted by メタマネ佐藤 at 20:00| Comment(2) | むかしがたり

2011年04月06日

メタマネむかしがたり 余計なお世話。

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どうも、メタマネです。

今日は、久し振りにむかしがたりをさせて頂きます。

何の話かと言うと、メタマネが初めて創心会のサービスに触れた時の話。

メタマネが、創心会に入社したのは、今からほぼ5年前。
「もっと前からおったでしょ?」みたいに言われる事もありますが…。
態度がLLだからでしょうかね。

まぁ、それは置いときまして。

入社前私は、とあるデイにおりました。

過去、何回かの“むかしがたり”でも書いたのですが、私はこの業界に入った時は全くの素人だった。

実践を通じて、自分なりの介護のあり方を見出だし、そこに理論を乗せる。

そんな風にして、自分なりに専門性を“叩き上げた”と言う感覚を私は持っていましたが、創心会のデイを体験させて頂いてからは、ガラッと180度、見方が変わったのです。
これはなかなかダイナミックな体験でした。

元々私は、「過介護」と言うものの弊害について、現場ではかなり口を酸っぱくしていました。

しかし、デイの基本的なあり方については「おもてなし」という認識だった。
つまり、利用者様は“ゲスト”だった訳です。

それに対して、創心会のデイでは「日本一の不親切な親切」というコンセプトをはっきり打ち出していました。

施設内にワザと段差を作ったり、必要以上に手を出さない。
それどころか、ご利用者様に掃除や食事の盛り付けなど、色々な事をご利用者様にして頂いている。

“お客様扱い”しない、という介護のあり方に、衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。

その事を教えてくれたのは、何よりご利用者様でした。

入社2日目、デイのサービス体験をする事になった時。

4点式の歩行器で玄関から入って来られた一人のご利用者様。

何気なく、私はその方の靴を下駄箱に運ぼうとしました。
すると、その方の顔が一瞬にして曇り、
「自分でできる。余計な事せんでくれ。」
と言われました。

衝撃を受けました。
でも、この言葉に教えられた。

10年以上培った介護に対するアイデンティティが、わずか30分で崩壊した一言でした。

しかし、私には「そうか」と目が覚めた感覚がありました。

ご利用者様自身が、こうした感覚を持って、サービスを利用されている事の意味。

こうした心のあり様を作る事こそリハビリなんだ、と強く実感しました。

創心会のリハビリは、社名の示す通り、「心から」始まる。

その事を、新人の皆さんにも実感して頂けたら良いな、と思います。
posted by メタマネ佐藤 at 22:04| Comment(2) | むかしがたり

2011年03月10日

メタマネむかしがたり 海を見ろ。

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「メタマネむかしがたり」と称して、なにかと自分の体験をブログにアップしておりますが、これが意外と若い方に好評な様で。

「良かったですよ」とか、プラスのフィードバックを頂くと、「ほんならまたやってみよか」と調子付く、“褒めて伸びるタイプ”を自認するメタマネです。

今日は、あるご利用者様との出会いを振り返ります。

その方は、緑内障によって16才で全盲となったA様。
脳梗塞による片麻痺で、要介護3でした。

自分でマッサージ治療院を開く傍ら、カラオケ教室の先生なども現役で務める、実にパワフルな人でした。

私が関わる様になったのは、A様の奥様が亡くなった1週間後。
A様の身辺のお世話をする方がいなくなってしまった事がきっかけでした。

そんな理由ですから、初回の面談は何となく気遣いが必要なのかな、と思っていたのですが、A様は実にパワフルでした。
食事の事を尋ねると「買い物は愛人がしてくれます」と話す。
そして「私、こう見えてもモテるんです。」なんて言っちゃう。

これ、実はヘルパーさんの事。
キテレツで、色んな意味でスゲェ人だったのですね。

A様の介助をしている私に、「なんで彼女作らないの?」と聞いてきて、私が「僕はモテませんから」なんて言うと、こんな言葉が帰ってきた。

「海を見なさい。
魚は無限に泳いでいるでしょう?
でも、自分から釣糸を垂らさなければ、どんな魚だって釣れはしないんですよ」と。

良い話だかなんだか分かりませんが、「この人、スゲェ人だな」とリスペクトしましたよ。
要するに、積極性。
勇気を持て、とエールを送ってくれた訳ですね。

まぁ、その時私は軽い感じで話していたので、そんな応援される程の事は別に無かったんですが、A様の“人”に対する態度、接し方には大いに共感しましたね。

実に粋。

この方は、心が自由だと思った。

いつも明るくて、その人の生き方、僕は凄く好きでしたね。

“モテる”のも頷ける気がしましたよ。

こんな風に年がとれたらな、と思ってあこがれてしまいましたね。

この「海を見ろ」という言葉は、私にとって、人間関係に対する“思い切り”を与えてくれた一言でした。
posted by メタマネ佐藤 at 21:35| Comment(0) | むかしがたり

2011年03月02日

メタマネむかしがたり チョース!

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チョース!メタマネです(^-^)v。

「チョース」ってのは、メタマネが高校時代にやってた、吹奏楽部員同士の挨拶。

うちの学校は男子校だったので、文科系の吹奏楽部といえども、ノリは体育会系。
部員同士は、例えどこで出会っても、姿勢を正して「チョース!」といわないといけません。
声はでかけりゃでかいほど良い、という感じでしたね。

部訓は「気合」と「集中」でしたから、大会前なんかは、「オルァ、返事が小さい!気合足りねぇぞ!」みたいなノリで練習してました。
いやぁ、若かったよねえ。

前にも書いたんですが、僕は高校生の頃は部活しかしてない感じだったので、勉強の成績はぐんぐんダウン。
結局、どこの大学にも引っ掛からないほどの、超馬鹿チンになってしまいました。

しかし、それには何の後悔もないんです。

それまでの僕は、人に言われてから何かをやる事が多かったのだけれど、自分から積極的に何かに打ち込む、という事は無かった。
皆で協力して一つの事に集中し、作り上げるという事も無かった。

今思えば、この時の体験こそ、自分のアイデンティティを確立していく為に、必要なモノだったのでしょう。

何十人もの仲間が、心を一つにして、一つの音楽を作り上げるという事は、なかなか刺激的で、感動的な体験なのです。
まさに、所さんの番組でやってるような「吹奏楽部の旅」の世界でしたね。

そして何より、高校生の3年間を通じて、一生の友を得ました。
普段、そんなにベタベタ仲良くはしないけど、そうした友の存在は、私にとって一生の財産と言えるものです。

そして今でも、OBが年1回集まって、演奏会をしています。

今年で36回目を数える定期演奏会は、来たる3月21日。
場所は岡山シンフォニーホール。
毎年1000人を超える入場を頂いています。
固定客もけっこ〜いるんですよ(^-^)v。

手前味噌な感じですが、在校生を交えて、かなり感動できるステージだと思います。
現役学生にとっては、これが卒業式でもありますからね。
そういうのも込みで聴いてると、なかなか泣かせてくれます。

興味のある人は、是非足を運んでみて下さい。
一応メタマネも出ますよ〜。
練習全然してないけど。
posted by メタマネ佐藤 at 22:47| Comment(3) | むかしがたり

2011年02月23日

メタマネむかしがたり ばあちゃんのお百度参り

どうも、メタマネです。

今日は家族の思い出話でもひとつ。

一人っ子で、小さい頃はめちゃめちゃ甘えん坊だった僕は、生粋のおばあちゃん子。

前にも少し書いた事があるんですが、うちのじいちゃん、ばあちゃんは開拓農民でしたから、ふたりとも半端ない根性の人でした。

そんなばあちゃんのド根性にまつわる、思い出話をさせて貰いたいと思います。

僕は小さい頃、小児ぜん息がありました。

なんでもない時は良いんですが、一旦発作が起きると夜も眠れない。
横になっている事も息苦しくて出来ないので、布団を高く積んで、そこにもたれて、往診の先生を待つ、という事も多かったんです。

色んなお医者さんに行きました。
神頼みにも行きました。

そんなある時、ご祈祷の先生から、こんな事を言われたんですね。

「北向きのお地蔵様にお百度参りをしたら、きっと病気は良くなります。」

それからというもの、ばあちゃんは毎日朝5時に起きて、片道1時間ほどの道を歩いて、お百度参りを踏んでくれました。
雨の日も、寒い冬の日も、休む事なく。

病気が良くなるまで、百回とは言わず、何年も続けてくれました。
僕は凄く申し訳なく思ったのだけれど、ばあちゃんは「健康作りになるから、これでええんじゃ。」と言ってくれた。

そのうち、般若心経の写経も加わって、毎日4時間余りが僕の為の“祈り”に費やされたんですね。

自分で言うのは恥ずかしいけど、凄い愛情を感じる事です。
僕はそれを、いつも肌で感じて来たんです。

そして元気になって、大人になって。
僕には万分の一も恩返しが出来ないまま、ばあちゃんはいなくなってしまいました。
ばあちゃんとの別れは突然で、本当に悲しかった。
葬式の日は秋分の日で、抜ける程天気が良かったのを思い出します。

僕はいつも思うんです。

ばあちゃんが注いでくれた愛情があったから、今の自分がある、と。
お祈りの効果は分からないけれど、僕の事を大切に思うゆえの行動、その中にこそ真実があった、と。

変かもしれませんが、その時貰った恩を、仕事を通じて自分の関わる利用者様に、少しでも返していきたい。

仕事を通じて、その様に思うのは独り善がりな感じもします。
しかし、ばあちゃんに恥じる様な事はできないし、したくありません。

だから、もっともっと仕事の質を高めたい。
そんな風に思う、原動力になっているんです。
posted by メタマネ佐藤 at 22:07| Comment(2) | むかしがたり

2011年02月02日

メタマネむかしがたり 人を裏切る。

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人との出会いは、いつも突然(なんじゃ急に)。

利用者様や男連中にはそれなりにモテるのだが、なんで女子にモテないのか、サッパリ分からんメタマネです。

やっぱしメタ腹が致命的なんだろーかね〜…。
いいのさ。
きっとみんな、いつか俺の事、分かってくれるって信じてるょ…( ..)φ。

さて、ウザい導入はこんな所で。

人との出会いは一期一会と申しまして、それがこの仕事の“妙”と申しますか、“醍醐味”というのがあると、いつも言ってるメタマネなんですが、時にはその事によってふかぁーく傷いてしまう事があるのも、また必然。

じゃあ、何によって傷つくのかというと、そりゃあ色々あるでしょうが、“裏切り”ほど相手を傷つけるものは無いと、こう思うのです。

裏切りは、やられる方が辛いに決まってるんだけど、そうなるには色んな理由がONされてくるので、結果を見るとどっちとも傷ついてる、って事が案外多いもんだ。
なにを裏切りと感じるかは、その“人”による部分も大きいしね。

そして、自分では“良かれ”と思ってした事が裏目にでたりして、結果“裏切り者”なんて言われた日にゃあ、立ち直れんくらいの衝撃を受けてしまうのです。

僕自身が記憶する人を裏切ってしまった体験は、次の様なモノ。

当時、ある後輩に仕事を任せていました。

彼は責任感が人一倍強い。
故に、他者に対して、私が思う必要以上に厳しく接してしまう。
そのことによって、他者からは「あの人をなんとかしてくれないと、安心して働けない」とこっそり伝えられる。
このままだと、新人は心が折れて辞めてしまう。
直接話し合う事は難しいだろうから、間に入ってとりなして欲しい、という願いでした。
僕は「分かった、任せて」と伝えました。

僕は彼になるべくソフトに話そうと、状況を確認する。
すると「僕は最低限の仕事を求めているだけ。
それが“できない”ならまだしも、人のせいにしてグチを言うなんて、僕には甘えてるとしか思えない。」と話す。
それを聴くと“確かに”と思ってしまい、「大体それを僕に直接言って来ないのはどうして?後ろめたいからでしょ?」と言われる。
それについては「君が怖いからだよ」とは言えずに、「分かった、伝えておく」と答えてしまう。

そうすると、前者からは「何の為に相談したのか分からない」って事になる。
失った信用をとりかえそうとして、今度は彼に指導をしようとすると「前に話し合った時に、なんでそれを言わないのか。自分をピエロにしたかったのか」と激烈な怒りを浴びる事になった訳です。

板挟みで辛い想いをした上に、よかれと思ってした事が、両者ともに裏切る結果になったんですね。

これは辛い(苦笑)。

全く、今思うと「何やってんだ┐('〜`;)┌」って飽きれる話です。

冷静に考えると、どちらに対しても言うべき事はあった。
そもそも僕はそんな感情のもつれに付き合わされるのがいやで、「それくらい上手くやってよ。それも含めて仕事でしょ?」と本心では思っていたのに、嫌われたくなくて、それが言えなかった。
だから両者ともに良い顔をして、“やりすごそう”って思ったんだよね。

そんないい加減な事だと、いずれは全てバレる。
そして皆の信用を失う。

なんてことはない、単純な事なんです。

ドラッカーは、リーダーに対して「真摯である事」の重要性を説いていますが、要はこの心構えが欠けていたワケだ。

今の僕なら、葛藤を抱える両者の話し合いを当日中に持ち、そこに加わって自分の意見を真摯に述べるでしょう。
そのことによって、どちらかは職場から去る事になるかもしれないけど、努力の結果ならば、それすらも必然、と捉えるでしょう。

痛い想いをしたから、それが身に染みて分かった。

だから、2度と不様な姿は曝さない。

そう決意して、仕事に臨んでいる今日この頃です。

本日の体重 88.3kg (あれ?)
posted by メタマネ佐藤 at 19:35| Comment(2) | むかしがたり

2011年01月18日

メタマネむかしがたり 若き日の迷い

チョリーッす。メタマネっす。

1月18日は「いいや」の日だから、も〜なんだっていいや!
なんてゆってたら怒られますかね…

今日は、そんな風に自暴自棄になっていた、若き日の迷いについてつぶやきます。
それは、私が高校から20才くらいにかけての話。

前にも書いたかもしれませんが、メタマネは学校の勉強、特に受験勉強ってヤツが大嫌いでした。
なぜなら、やる意味が分からなかったから。
ワケ分からん数式とか漢文とかが、将来の自分の役に立つとは、とても思えなかったからなんです。

中学卒業までは、それでも頑張って勉強してたんですが、高校受験に失敗してからは、いよいよやる気を無くしてしまい、高校時代は学校に“行くだけマシ”という(サボる事も多かったが)、超おちこぼれになってしまいました。

んなわけで、大学なんて行けるわきゃない。
将来なりたいものも無かったから、テキト〜な専門学校を選んだんだけど、コレが実にマズい選択だった。

なぜなら。

その学校、学生に資格を取らす必要があったので、スゲェ厳しかったのですね。
それこそ、朝から晩の9時頃まで、ひたすらプリントをやらされました。

元々そんなにやる気も無かった僕だから、すぐに行くのが嫌になっちゃって。
でも学校を「辞める」勇気も無くて、通学するフリをして、色んなバイトをして時間を潰す、という日々を送る様になりました。

そんなハンパ者ですから、バイトだってまともに続かない。
昼間から酒飲んで、怪しい事やったりしてました。
ホント、ひどいもんです。

学校に行かない事よりも、家族にウソをついていた事の方が、僕にはこの上なくカッコ悪く思えて、辛かったなぁ。
「親に学費を出して貰っているのにサイテ〜だな。」ってね。
まさにその時は、自分の人生に迷い、逃げとった訳です。

1年近くそんな日々を過ごしていたでしょうか。
結局、スッパリとその学校を辞めて、やり直す“決心”をした事が、自分にとって良かったと言える。

その時の経験があるからこそ、今を頑張らなきゃいけない、という風に考える事ができるようになった、という訳です。

今にして思うと、「勉強する意味が分からない」なんていうのは、自分がやりたくない事に対する“言い訳”にすぎなかったんだな、と思います。
自分が今やっている事に意味を持たせるのは、やっぱり自分しかいないですから、何事も前向きにやんなきゃね。

そんな当たり前の事に気付くのに、およそ4年の歳月を要したという、実にカッコわりぃ話なのでした。

本日の体重 87.6kg
posted by メタマネ佐藤 at 21:04| Comment(2) | むかしがたり