2018年02月11日

見方が変わる。

人間関係と言うのは、とても難しいものだなぁと思います。

このところ、そのような変化を、私自身が感じる機会がありました。
転勤によって環境が変わり、自分自身の人を見る目や、人間関係に影響を与えているのだと思います。

自分では、「人を見る目はたしかな方だ」と思ってきました。
ケアマネですしね、そういったアセスメント(人を見る目)に自信が持てなければ、務まらない仕事だろうとも思います。
そんな私自身が、改めて「自分自身が偏った見方に陥っていたことに気付かされた」。

僕は、「人というのは、本当にわからないものだな」と思うのと同時に。
その実感はむしろ、今後の人間関係を構築する上で、プラスに転換できると考えてます。

簡単に言うと、ものすごく嫌な人だと思っても、見方を少し変えるだけで、良い人にもなり得る。
悪い意味で言えば、信頼など一瞬で崩れ去るものだ、ということです。
少し視点を視点を変えるだけでも、そういった変化は起きる。

だからこそ、いつも誠実でなきゃいけません。

言葉で言えば、単純なこと。
だけど、実際に、私自身が今感じたのは、改めて難しさに気づいた、ということであり。

それは自分が未熟であることの自覚を与えてくれたのです。
勘違いに気付かされた、と言ってもいいかもしれません。

難しいと思うことも、いろいろありますが。

44歳を迎えた今日、気持ちを新たにして、頑張りたいと思います。


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posted by メタマネ佐藤 at 08:46| Comment(0) | 日記

2018年02月03日

思いやりと正義。

議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
しかし、それは空しい勝利だ。
相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから。
ーーベンジャミン・フランクリン

アメリカ建国の父の一人と言われ、政治家でありながら科学者でもあったフランクリン。
いわゆる“避雷針”は、彼の発明によるものですが、その実験方法は雷の日に凧揚げをして、落雷の電気を逃す、という、一見自殺行為かとも思えるような方法で行われたとされます。
その勇気と行動力は、広くアメリカ国民からも支持され、現在の100ドル紙幣の肖像画にもなっている。
そんなフランクリンの残した名言の一つが、先ほどの言葉です。

さて。

イギリスからの独立という、あまりに大きな政治的偉業を成し遂げたフランクリンですが。
交渉のスペシャリストであった彼をして、「相手を言い負かしても空しい」というのが、私はとても重要な姿勢であると思うのです。

一方では、仏教にはこんな言葉もあります。

「正義は人間を最も残酷にさせる」

つまり、自分は正しいという思い込みこそが、他者への配慮を失わせ、容赦なく傷つけるようになる、という意味です。

価値観や物の捉え方は、一人ひとり皆違います。
自分は絶対に正しいと信じて疑わない、言い換えれば共感力の低い人間は、議論で相手を負かして、その事実をもって優越感に浸り、「自分は正しい」と自己陶酔していくものではないかと思います。
でもその背景にあるのは、自分に自信がない、人に認めてもらわないと価値がない、という承認欲求の欠如からくる、ネガティブなモチベーションだと考えられるのです。

つまり、自らの正義を信ずる人は、思いやりに欠けている。
もしくはそんな余裕がない。
だから、人を傷つけても、気付かない。

「自分こそ正義なり!」
最近、こんな人が増えてませんかね?
…これって、かなり恥ずかしいです。
自分もそういうとこあるから、書くの苦しいですけどね。

結局のところ、こういう人の行動原理は、「人から褒められる」とか「認められる」というような、マズローの理論で説明される承認欲求が大きいのだと思います。
ICFで言えば「参加」かな。

自分の居場所を求めて、自らの行いを正しいと信じて、誰かに認めて欲しくて、「すごいだろー!」と人を言い負かし、暴れまわっているとしたら、こんなに空しいことはありません。
言い換えれば、寂しいって素直に言えないだけ、それで人を傷つけてる、という話ですからね。
もっと恋愛したらよかったのにな、と思うなぁ。

役所の窓口で、長時間、理路整然とクレームをつける人たちというのは、たいていこのパターンだろうと、僕は勝手に位置付けています。
いわゆる「中二病」もそうだな。

「ヒマならもっと、建設的なお話をすればいいのにね」と思う。
でもね、時間に余裕はあっても、気持ちにそんな余裕がないんです、たぶん。

ここから脱却するには、「思いやり」の心を持つことだと思うのです。

自己中心的な、自らの正論に拘らずに。
相手の話に、きちんと耳を傾けよう。
相手も気持ちを考えよう。

でも、そんな簡単なことが、どうしてできないのか?

何度も言います。
「自分は正しい」と、勝手に思い込んでいるからです。

そう思わないとやっていけないから。
誰かに認めて欲しいから。

そんなつまらない「負けない」精神から脱却し。
「思いやり」の意味を考え、深めることに力を注ぐようにしましょう。

我々の業務では、地域包括ケアシステムとか言ってますが、基本はそこ。
思いやりの精神と、緩やかながら信頼で結ばれた助け合いの仕組みを地域に面展開すること。
「我こそは正義!」と思う人が、一番いけない。
なにをするにしても、その立ち位置を間違えないようにしなくてはならないと、僕は思うんですよね。


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posted by メタマネ佐藤 at 18:32| Comment(0) | 日記

2018年01月28日

文春砲の末路。

週刊文春に対する批判的な報道がネットを渦巻いています。
それをうけて編集長が「切ない」と言ったそうですが。

因果応報。
それだけの話。
それを「切ない」とは、情けない。

この流れは、なんといっても、小室哲哉さんが引退に追い込まれるほど精神的に疲弊したことについて、責任を問われているということだと思います。
でもね、前からずっとひどいことはやってるよ。
叩かれた人が、折れなかったというだけでね。

私は、以前から思ってました。
他人のプライベート暴き立てるような下衆な雑誌は早く廃刊したほうがいいと。
写真週刊誌も不要だね。
同じ意味で、下衆なワイドショーも世の中にはいらない。
不倫報道など、公共の電波を使う内容ではない、と。

民度が低い、と思う。

芸能人が、一私人として、事件や世相に対する、自分の考えを述べる。
これはワイドショーの意義としてあり得る。
ただ、その話題は、よくよく考えなくては危ない。
それだけのことです。
個人のプライベートなど、興味を引くテーマであっても、絶対取り上げてはならないこと。
小室さんの例は、それを如実に示した、というだけの話だと僕は思います。

週刊文春は、ただ話題性を武器に、売り上げを増やし、芸能人とはいえ一個人のプライベートを赤裸々に告発することで、「文春砲」などと思いあがった肩書きを受け入れて、紙面構成した。

それを受け入れる文化は、日本の恥。

国民による「知りたい欲求」を文春砲に変換することは、個人攻撃のリンチであり、絶対に容認などされてはならない。
不買運動をしたらいい。
その上で多大な賠償をさせ、週刊文春の暴走を止められなかった文藝春秋社そのものが、社会的責任を取るべき内容と私は思います。

結果、小室さんが引退発表したことで、世の中は良い方向に変わるかもしれない。
今後も同じようなことは起きるでしょうが、教訓にしたいものです。


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posted by メタマネ佐藤 at 08:51| Comment(0) | 日記

2018年01月20日

仕事のABC。

以前職場におられた上司が、「仕事のABC」ということをいわれていました。

(A)当たり前のことを、
(B)ぼーっとせずに、
(C)ちゃんとやる。

すなわち、ABCです。

短くて分かりやすい、そしてとても大事なことだなぁ、と今でも心に残っています。
では、今の自分は、そのABCができているだろうか?

…できていない。

全然できていない、とも言わないが。
いろいろ気になることが、なんやかんやありますね。

当たり前のことを当たり前に、というのも結構難しいもので。
人によって尺度が違いますから、考え出すとキリがないような気もしますが。
ここで言う当たり前とは、それほど高いレベルのことではありません。

ちゃんと挨拶をするとか。
日時業務はその日に終わらせるとか。
人に迷惑をかけないようにするとか。

そういう類の「当たり前」なんです。
なのに、どうしてそんな簡単なことができないのか。

ぼーっとしてるから。
ちゃんとしようと思ってないから。
だんだん楽を覚えて、手を抜こうとするから。
バレなきゃいいだろう、とズルをしてしまうから。
いつかやろう、と思って後回しにしてしまうから。

ちゃんとできない理由は、いくらでもあります。
だけど大事なのは、日々の“当たり前”の積み重ね。

その実績が、信用というものだと思います。

みなさんも、「仕事のABC」を実践してみてくださいね。
posted by メタマネ佐藤 at 00:35| Comment(0) | 日記

2018年01月12日

過ちを争うべからず。

過ちを争うべからず。
自今以後の嗜み、肝要のこと。
ーー武田信繁

武田信繁は、武田信玄の弟で、川中島の合戦で討ち死にした名将。
若き日より人格者として知られ、武田家の家訓を99箇条にまとめました。
この一節は、その中の一つ。
短くも凝縮された名言であり、信繁の人柄をうかがい知ることができる言葉だと思います。

この言葉を現代文に訳すならば。
「人の過ちを責め立ててはいけない。
大切なのは、これからの心がけである。」
ということでしょう。

この心境。
なかなか難しい。

誰かの過ちによって、迷惑をかけられたり、嫌な思いがしたときに。
それを責めずにはおれない時が、あるはずだからです。

相手を直接責めることがなかったとしても。
誰かに愚痴を聞いてもらったり、根に持って恨みに思う、ということだってあるかもしれません。

この言葉を聞いて思うのは。
相手に対する向き合い方もそうなのですが、自分自身の心の持ち方が大切なのだ、ということです。

誰かの過ちによって、迷惑をかけられたとか、嫌な思いをしたとかいう体験は、誰にだってある。
僕も、過去何度か「あの人は許せない」と思うような体験がありました。

でも。
じゃあ自分が間違えることや、誰かに迷惑をかけることがないのか、といえば、全くそんなことは無いんです。
むしろ、誰かに迷惑をかけっぱなしで、どうにかこうにか支えてもらっている、というのが現実だと思うんです。

だから大切なのは、そういった「持ちつ持たれつ」で成り立っていることに対する、“自覚”の有無なんじゃないか、と思います。

そして…たぶん、ですけど。

「自分はこんなにやっている」という驕りがあるから、「他人がしてくれない」としか、思えないんじゃないでしょうか。
そういう「自分が正しい」という思い込みこそ、実はもっとも気づきにくく、恥ずべきものだと僕は思います。

僕自身、あとから考えてみて、「あれは恥ずかしいな」と思うこともあります。
“覆水盆に返らず”ということもしばしばで。
僕のおおかたの“過ち”は、この“過ちを争う”、つまり「自分は正しいんだ」と周囲の人に認めてもらいたい、賛同してもらいたい、という承認欲求にあったのではないか、と思うのです。

人に認めてもらいたい。
誰もが持つ願いでもありますが。
これをコントロールすることなど、そもそもできません。

できるのは、自分自身の心がけを変えること。
そうすれば、周りの人も、いつかきっとわかってくれる日が来るはずですから。
posted by メタマネ佐藤 at 19:52| Comment(0) | 日記

2018年01月06日

星野監督のご逝去によせて。

昨日新年のご挨拶を書いたばかりですが。
朝方に飛び込んできた訃報に、目を疑いました。

郷土の誇りである、“闘将”星野仙一さんが、がんで亡くなられた、という。
その一報は、とても悲しく、一つの時代が終わったことを感じさせ、私の胸を強く揺さぶりました。

私は星野さんが中日の監督を勤めていた頃から、チームのファンというよりは、星野さんのファン、という感じで、これまでも監督を勤める球団を応援してきました。
それも、当時低迷していた中日、阪神、楽天という3球団を優勝に導いた手腕は、この先も語り継がれる偉業と言って良いと思います。

そうした、野球人としての偉業、というのも当然尊敬に値するものですが。
どちらかと言えば、星野さんの厳しくも暖かい人柄が好きだった、ということが大きかったですね。
特に、小学生の時に、体の不自由な友達を、おんぶして毎日学校に通っていた、というエピソードが、星野さんの人となりを表しているように思えて、とても尊敬したのを覚えています。

年末に、野球の殿堂入りを果たされたときには、すでに闘病中で体調も良くなかったはず。
それでも、そんな様子をおくびにも出さず、堂々と振舞っておられた。
おそらく、最後の瞬間まで、星野仙一は「闘う男」として振舞われたんだろうと思います。

星野さんの人柄を偲び、数々の名言に触れてみます。

「わしはな、なんと言うか完成されたチームを任されるのは嫌なんや。中日時代もそうやった。戦力を整備して、チームを立て直す。これに快感を覚えるんや」

「人生の1%をボランティアに捧げ」

「今の若い者には、若い者の良さがある。今の選手には今の選手なりの接し方があるんだよ」

「いま、子供を叱れない、生徒を叱れない、部下を叱れない人がいる。何やってんの。叱るのが愛情だよ」

「監督は孤独を愛さないといけないし、ストレスも愛さないといけない。そんなネガティヴなものに対してお友達にならないとダメなんです」

「我々にとって野球というのは仕事ですから、仕事に対して闘争心がないというのは生活権を放棄していると僕は受け取ります。人生を放棄していると言っても過言じゃないと思います。ですから、逃げる人間。それは自分でレギュラーなりチャンスなりを放棄していると僕は見ます。もう泥まみれでがむしゃらで苦しめばいい。僕は苦しんでいるうちはチャンスをあげます。逃げる奴にはチャンスをあげません。」

「ひとつの夢をつかんだと思ったら、次の夢が出てくる。夢にチャレンジしているから、俺はすごく若いわけです」

「人を愛せ。人を信じよ。人を生かせ。人を褒めよ」

星野さんの暖かい言葉に、胸が熱くなりました。

心より、郷土の英雄のご冥福をお祈りいたします。

たくさんの感動を、ありがとうございました!
posted by メタマネ佐藤 at 15:50| Comment(0) | 日記

2018年01月05日

あけましておめでとうございます。

みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もメタマネブログをどうぞよろしくお願いします。

今年は、平成30年。
もうそんなになるのか、と驚きを感じます。
天皇陛下も退位の意向を示しておられますし、次はどんな元号になるのでしょうね。

いずれにしても、一年一年を大切に、誠実に生きていきたいものです。
そして、ほんの少しでも良いので、去年よりも成長した自分でありたいものです。

私自身を取り巻く環境も、少しずつ変わってきましたが。
いずれにしても、全てのことを、良い方向に。

それを実感できる一年にしたいものです。
posted by メタマネ佐藤 at 22:17| Comment(0) | 日記

2017年12月27日

一緒に働いてくださるケアマネさんを募集します。

今日は、いつもメタマネブログを読んでくださる皆様に、求人のお知らせをさせていただきます。

創心会益野センター(以前、本屋さんだったところですね)にある、居宅介護支援センター岡山にて、ケアマネジャーの募集をします。

経験、未経験は不問。
ケアマネジャーとしてしっかり実務を勉強したい人をサポートします。

このブログの読者で、「メタマネと一緒に働いてもいいよ!」というかた。
1月17日と、24日に、益野センターにて就職相談会を行いますので、是非一度覗きに来てください。
お時間はそれぞれ、10時からと14時からの予定です。

どうぞよろしくお願いします。
posted by メタマネ佐藤 at 18:41| Comment(0) | 日記

2017年12月22日

変わりゆく。

先日、街をふらふらしていた時のこと。

ふと、昔よく通った喫茶店の前を通ったら、貸店舗の貼り紙が。
「そっか、閉店しちゃったのか…」とちょっと寂しくなりました。

その店は、こだわりのあるマスターが経営していた自家焙煎の喫茶店。
豆を一粒ずつハンドピックして、きちんと温度管理しながら、丁寧にドリップしてくれる店でした。

仕事の愚痴とか、私生活の悩みとか。
いろんな話を聞いてもらって、長居して。
二杯、三杯とコーヒーをご馳走になっていたのですが。

お客さんは、いつもあんまりいなかった。
ある意味、だからこそ長居もさせてもらえたのかな、と思ったりします。
閉店しちゃったのはさみしいですけどね。

…街の景色は、変わり続けます。
いい意味でも、悪い意味でも、止まることなく。

あの喫茶店に入り浸っていたころの自分と、今の自分。
果たして僕は、前に進んでいるのかな。

年齢だけは、待ったなしで重ねていってるけど。
それに見合う人間性を身につけているのかな。

自分の内側を見てみると。
そんなに成長もしてないような気もするが。

なんにしても。
毎日、一つ一つのことを、丁寧にやっていこう。
自分にできる範囲のことを。
posted by メタマネ佐藤 at 06:29| Comment(0) | 日記

2017年12月13日

案ずるより産むが易し。

皆さんは心配性な方ですか?
僕は自分で言うのもなんですが、けっこう心配性です。

僕の場合は、特に他人にどう思われているのかがすごく気になってしまいます。
顔色を気にするというか。
こうなると、なかなか行動が起こせなくなってしまうんですよね。

こんな悩みがあると、行動を起こす前に色々と悪い想像をしてしまいます。
普段から、いつも心配性というわけでもないんですけどね。
たぶん、本質的に気が小さいのでしょう。

なにか心配するときには、「こうなったらどうしよう」と大げさに心配をしてしまうものです。

だけど、その心配事というものは。
取り返しがつかないものばかりではないし、想像ほど悪いことばかりでもありません。

大抵の場合は、“考えすぎ”によるものです。

自分ではあまり気づきませんが、悪い想像というものは、狭い範囲の心配事がどんどん深くなっていくために、気づくと大局を見失っている場合が多いのです。
そのため、他の人からは、「なんでそうなるのかわからない」と思われたりします。
結論に至る思考プロセスが見えないんですね。

これは、「気にしすぎ」の弊害とも言えます。

本当は、いろんなことに気を遣っているのだけど、気を遣いすぎて空回りしてしまう。
で、着地点が唐突な感じになってしまい、「なに言ってんの?」と思われる。

思考の空転。
労力は物凄くかかる。
そして周囲に理解されない。
…これはマズいですよね。

だったら、いろいろ心配する前に行動することです。
結果がどうなろうと、勇気をもって行動することです。

そして、もう一つ言いたいのは、勇気は野蛮とは違う、ということ。

自分の正義を信じるならば、堂々と主張すること。
偉そうに、相手を威圧するように、声高にいう必要はないのです。
言うべきこと、伝えるべきことはきちんと表明するべきだし、お互いにそれを尊重するべきなのです。
これがうまくできないと、すれ違いを修正できないままになる。
人間関係で悩むことも増えてしまうでしょう。

いろいろと悩むのは、守りに入っている証拠。
そして、守りに入ると心はカチコチに固まってしまいます。
そうしているうちに、心は冷え切ってしまうでしょう。

こうなると、どんな暖かい言葉も、思いやりも感じられなくなってしまうかもしれません。
そうなる前に。

心配性な自分は、どこかに置いて。

案ずるより産むが易しの精神で、一歩踏み出しましょう。
posted by メタマネ佐藤 at 18:38| Comment(0) | 日記